あさって11日で東日本大震災から3年ですけど、3年たっても一向に進まない復興に腹立たしい思いがいたしますよね。一日も早く被災地が元の賑わいを取り戻すことを願うばかりです。
東日本大震災のことを考えると、懐かしいアニメやテレビ番組など《おっさんホイホイ》的な話でおちゃらける気持ちにはなりませんので、本日はまた文学のお話をさせていただきます。モーパッサンです。
私のブログの中で、文学の話題は最も人気が低く、コメントも少ないのですけど(ぐっすん)、本来このブログのメインテーマは文学作品ですので、しばらく我慢して付き合ってくださいね。
文学その他の芸術に私がまず第一に求めるのは刺激です。エネルギーです。精神波です。強烈さです。魂の震えです。
かのゲーテもこう述べております。
青年は教えられるより、刺激されることを欲する
(高橋健二編訳「ゲーテ格言集」(新潮文庫)より)
モーパッサンの小説にも、読む者の魂を震わせる、強烈な刺激がたくさん詰まっておりまして、それが我々読者を魅了するのです。
モーパッサンに魅了されたのは、何も私みたいな《ぼんくらオタク》だけじゃないんですよ。哲学者ニーチェも「この人を見よ」の中でこう書いています。
・・・しかし、こういう前時代のフランス人たちを愛するからといって、それは、最近のフランス人たちがわたしにとって魅力ある付きあい仲間であることを、さまたげるものではない。歴史上のどの世紀に網を投げてみても、現在のパリにおけるように、好奇心に富んでいながら同時にあんなに繊細な心理家たちを、一度にすくいあげられるだろうか。試みに・・・というのは彼らの数はけっして少なくないからだ・・・名をあげてみればポール・ブールジェ、ピエール・ロティ、ジプ、メーリャク、アナトール・フランス、ジュール・ルメートルの諸氏、もしくは、この強力な種族の中からただ一人をあげるなら、わたしがとくに心を寄せている生粋のラテン人、ギイ・ド・モーパッサン・・・
(手塚富雄訳「この人を見よ」(岩波文庫)より)
モーパッサンの作品としては、長編の「女の一生」や「ベラミ」、中編の「テリエ館」、「脂肪の塊り」が有名ですけど、私がことのほか魅了されているのは短編の方です。
そこで本日は青柳瑞穂訳「モーパッサン短編集Ⅰ」(新潮文庫)から「田園悲話」という作品をご紹介いたします(ちなみに下の写真はⅡのものです。Ⅰの写真が見つからなかったものですから・・・汗・・・)。
ある村に、テュヴァーシュ家とヴァラン家という、貧乏な農家が二軒並んでいたわけです。両家とも、食うや食わずの貧乏人のくせに、貧乏な家ほどよくあるケースなのですけど、子だくさんでそれぞれ4人の子供がおりました。
で、家の前で両家の子供たちがワイワイ遊んでおりますと、そこへたまたま大金持ちの馬車が通りかかります。馬車に乗っていた夫婦には子供がおらず、以前から子供を欲しがっていた奥さんは、テュヴァーシュ家の末っ子シャルロに一目ぼれ。「あの可愛い男の子を養子にしたい」とテュヴァーシュ家に申し込みます。もちろん多額のお礼を用意して。
ところが、テュヴァーシュ家のおかみさんは、「子供を売るなんてとんでもない!」とカンカンに怒って断ります。
金持ちの奥さんが失意のうちに帰ろうとしたところ、隣のヴァラン家にも同じような男の子がいることに気づき、だめもとで養子縁組の話をもちかけてみると、こちらはOK。奥さんは大喜びで、さっそく男の子を自分の屋敷へ連れ帰ります。
その光景を険悪な目つきで見ていたテュヴァーシュ家のおかみさんは、それ以降、ことあるごとに「あの家は自分の子供を売った鬼だ」とヴァラン家の悪口を言い、またシャルロに向かっては「かあちゃんはおまえを売らなかったからね」と何度も言いきかせます。
それから約20年・・・
テュヴァーシュ家の上の子供たちは病気や戦争で亡くなり、残った末っ子のシャルロが、年老いた両親の面倒をみながら貧しい農家を営んでおりました。
そんなある日、隣のヴァラン家の前に立派な馬車が止まり、中から一人の若い紳士が時計の金鎖をぶらさげて降りてきます。それはかってシャルロの代わりに大金持ちの養子になったヴァラン家の末っ子でした。シャルロは現在の自分とあまりにも違う彼の姿に呆然とします・・・
さあ、ここからです。
青柳瑞穂先生の名訳でお読みください。
その晩、夕食のとき、彼は年老いた父親に言った。
「ヴァランのせがれにしてやられるなんて、おまえさんたちはよっぽど阿呆だったな!」
母親はむきになって答えた。
「わしは子供を売りたくなかったんだ!」
父親はなんとも言わなかった。
息子は語をついだ。
「そんなことで親孝行するなんて、こっちはいい迷惑だ!」
すると、テュヴァーシュのとっさんはむっとなって言った。
「てめえをくれずにおいたといって、文句をけつかるのか?」
若者は乱暴な語調で、
「うん、文句を言うね。だいたい、おまえさんたちはうすのろなんだ、おまえさんみたいな親どもは、子供のふしあわせになるばっかりだ。おれはもうこんな家にはいないからそう思うがいい」
人のいい母親は、皿にうつむきながら泣いていた。そして、スープを匙ですくって飲んでも、半分もこぼしながら、むせび声で言った。
「子供を育てるために、こんな思いをするなんて!」
すると、若者は、荒々しげに、
「こんなことじゃ、生まれてこなかったほうがどれだけましだったかわからねえ。おれはさっき、おれのかわりになった奴を見たら、体じゅうの血が煮えくりかえったんだ。ほんとうなら、あれが現在のおれだと思うと!」
彼は立ちあがった。
「そいでな、おれはここにいねえほうがいいと思うんだ。どうせ、朝から晩まで、おまえさんがたに文句を言って、おまえさんがたを苦しめるばかりだからな。なんせ、あのことを考えると、おれは勘弁できないんだ!」
二人の老人はあまりのことにあっけにとられ、ものも言わずに、涙ぐんでいた。
彼はつづけて言った。
「まったく、あのことを考えると、おれはたまらん。それより、どこかよそへ行って暮らしたほうがよっぽどいい」
彼は戸をあけた。にぎやかな人声が流れこんできた。ヴァランの一家が、帰ってきた息子と祝いの宴をはっているのだ。
それを聞くと、シャルロは悔しさに地団駄ふんだ。そして、両親のほうへひらきなおりながら、どなった
「このばか者め、勝手にしやがれ!」
そのまま夜の暗がりのなかに消えてしまった。
どうです? きっついでしょう? 強烈でしょう? こんな話がたくさん詰まっているんですよ、モーパッサンの短編集には。「椅子なおしの女」という作品も忘れ難いです。
魂を揺さぶるモーパッサンの作品群、ぜひ読んでみてください。どうせ小説を読むのなら、こういうのを読まなくちゃあきまへんで。