前回の記事「カリガリ博士」の中で、私の中学生の頃の話をいたしましたが、少し補足させていただくと、映画少年だった当時の私は、毎月、集英社の雑誌「ロードショー」を購入しておりました。
同じテイストのものとして近代映画社の「スクリーン」という雑誌がありましたけど(こちらは今でもある)、私は断然「ロードショー」の方を気に入っておりました。
映画評論家である小森和子のおばちゃまによる「ロードショー」のCMが、ラジオ版「欽ドン」の番組内で流れていたのを、よく憶えています。
で、雑誌「ロードショー」には、巻頭に「読者が選ぶ今月のスター・ベスト10」というコーナーがありまして、まえにナタリー・ドロンの記事を書いた時、私がこの雑誌を買い始めた頃は、男優の1位がアラン・ドロンで、女優の1位がナタリー・ドロンだったんですよと書いたところ、ナタリー・ドロン? 誰じゃ、それ? 本当にそんな女優が人気あったの? なんていう声が多くて、いささかガックリしたものです・・・もう誰もナタリー・ドロンなんて憶えていないのねと思って・・・それが悲しくて・・・
ところが、先日、古本屋で1974年1月号の「ロードショー」を発見いたしまして、懐かしさのあまり購入したのですが、そこに載っている「スター・ベスト10」を、私の証言の証拠として、皆さまにご覧いただきたいと思います。
ね、女優部門の第1位が、ナタリー・ドロンでしょ? 彼女はとっても人気があったんですよ。
私の大のお気に入りであるジャクリーン・ビセットは7位か・・・うーん、あまり良い順位ではないなぁ・・・8位にアニセー・アルヴィナちゃんなぁ・・・なるほど・・・ふむふむ・・・
左のグラビアは、女優部門第2位のオリビア・ハッセー。「ロミオとジュリエット」(1968)の大ヒットにより、当時は世界的なアイドルでした。《薔薇より美しい》彼女は、後に歌手の布施明氏と結婚し、角川映画「復活の日」(1980)に出演する事となります。
男優部門の第5位にクリス・ミッチャムという兄ちゃんがおりますでしょう? 彼は名優ロバート・ミッチャムの息子さんで(いわゆる二世タレントやね)、この時期オリビア・ハッセーと共演した「サマータイム・キラー」(1973)という作品で売り出し中でした。その後、お姿を拝見しませんけど。
「サマータイム・キラー」は退屈な凡作なのですけど、全盛期のオリビアが出演した、いわばアイドル映画ですので、世界中に今だ根強く生息するオリビア・ファンの人気は高く、DVD化もされています。
オリビア・ハッセーって、顔はほっそりしているけど、ボディはムチムチなんですよね。そのアンバランスさがたまりません。興味のある方はご覧になってくださいね。オススメはしませんけど。
ところが、「燃えよドラゴン」(1973)が公開された後の1975年11月号では、こういうランキングに変わっておりました。
男優部門の第1位がブルース・リー。女優部門の第1位がノラ・ミャオ。恐るべし、ドラゴン旋風!
さて、雑誌「ロードショー」の話はこれくらいにして、今日の本題に移りたいと思います。
真夏のホラー特集第3弾。
今回ご紹介するのは、お馴染み、遠藤周作先生の「怪奇小説集」(講談社文庫)です。
ホラー小説というと何を思い浮かべるでしょうか? 私のブログでご紹介したW・W・ジェイコブズの「猿の手」や、シャーリイ・ジャクソンの「くじ」もそうですよね。レ・ファニュの「緑茶」という短編も有名です。比較的新しいところでは、スティーブン・キングの作品もありますよね。
ま、とにかく世界にも日本にもホラー小説はたくさんあるのですけど、私が読んだ中でいちばん怖かった作品が、遠藤さんの「怪奇小説集」なのでした。
読むと後ろに誰かいるような気持ちになって思わずゾッとする「三つの幽霊」や、結婚の約束をしたジプシー娘を裏切った男の受ける恐ろしい制裁を描いた「ジプシーの呪い」、新人文学賞を受賞して華やかに文壇デビューを果たした女子大生を待ち受ける悲劇を描いた「生きていた死者」など、恐怖のお話が満載です。
ただし、そこは狐狸庵(こりあん)先生(遠藤さんの雅号なんですかね、これは?)、恐怖のストーリーの中にも、ユーモアが混じってきます。
これは如何ともし難いですよね。何と言っても書いているのが、ユーモア小説の第一人者である遠藤周作なのですから。
たとえば「時計は十二時にとまる」。
名古屋市にある松風楼という遊郭跡の建物には、むかし自殺した時計屋の手代の呪いがかかっていて、今でもその建物内にある時計は、夜中の12時になるとピタリと止まるという・・・
遠藤さんは、それが真実かどうかを自ら確かめるべく、編集者のE君(後のエッセイスト江國滋氏)とカメラマンを引き連れて名古屋へと向かう。
名古屋に到着した遠藤さん一行は、まず最初に地元の名士である田島老人を紹介される。日露戦争二百三高地の生き残りだそうである。
今回の勇気ある実験話に感激した田島老人は、遠藤さんたちを夕食に招待したいと言う。夜中まではまだ時間があるので、遠藤さんはご馳走になることにする。
連れていかれた料亭で、田島老人は機嫌良くさかんに何かしゃべっているが、訛りが強くて遠藤さんにはほとんど理解出来ない。
そんな遠藤さんのもとへ次々と不思議な料理が運ばれてくる。
まずは柔らかい白い肉。上質の鳥肉のようだが、骨が魚骨のように薄い。遠藤さんが「これは何の肉でしょうか?」と尋ねると、田島老人は「ケエル」と答える。遠藤さんたち三人は、ケエルとは名古屋コーチンの一種だろうと勝手に想像する。
次に運ばれてきたのは、黒っぽい輪切りの肉。
これも名前を尋ねると、返ってきた答えは「エビ」
エビ? 海老にしちゃ変だなと遠藤さんは思いつつも、失礼な事は言えないので、黙っている。
最後に暖かい混ぜご飯とお吸い物が運ばれて来る。混ぜご飯の中には、白いうどんのようなものが入っていて、噛みしめるとジュッと甘酸っぱい液体が出る。よほど腹が減っていたのか、E君はこの混ぜご飯を三杯もおかわりする。
田島老人と別れた後、いよいよ12時になると時計が止まるという旧遊郭の建物・松風楼へ向かうが、いま田島老人からご馳走になった料理のお陰で、遠藤さんたちは元気いっぱいである。
案内役のN氏が「薄気味わるい家ですぜ」と言っても、E君はシャックリを交えながらハイテンションで
「ぜーんぜん怖くありませんよ。なぜなら、ボクたちはたった今、田島さんというお爺さんにホルモン料理をご馳走になってきたんですからねえ」
と答える。
さあ、ここからです。遠藤さんの巧みな文章をご堪能ください。
「え?」突然N氏は驚いたように足をとめて、「あなたたち、田島はんに案内されたですか」
「ええ、それが、どうかしたのですか」
「いや、ようあんなもん食べられましたなあ、わし等はとても口にあわんが・・・」
「あんなもんと申しますと?」
「田島はんは有名な悪食家でしてな。蛙や蛇を食う店を自分で経営されとりますが・・・」
突然、私の脳裏にひらめいたのは、あの時たべた白い柔らかな肉である。老人はあれをケエルと言っていたが、それは蛙と言うつもりだったのではなかろうか。それからエビと呼ぶ黒い輪切りのものは蛇のあやまちだったのか、思わずムカムカと吐気が胃の底からこみあげてきた。
「なんですって。じゃあ混ぜご飯の中のうどんのように白いものは何でしょう?」
思わず私は大声をたてた。ケエルやエビの他に我々がご飯と一緒に食べた白い長いヒモのようなものは、噛みしめたとき甘酸っぱい汁が舌の上に流れこんできたのを私は思いだした。
「白い長いもん。そりゃ回虫とちがうかなあ」
N氏は私たち三人を軽蔑したように見あげた。
「カイチュウ?」
「さあ知らん。だが田島はんは回虫は人間の栄養をとって生きとるのだから、あれほど栄養ある食い物はなかろうと、常々、言うとられましたからな。とにかく変わった老人ですワ」
私たち三人はむやみに唾をそのあたりに吐きちらした。
「畜生、ヒエッ、畜生、ヒエッ」
E君は苦しそうにシャックリと嘔吐の音を交えて呻き続けた。
もう松風楼どころの騒ぎではなかった。我々は生まれて初めて蛙や蛇やそれに白いイヤラしいものを食べたのである・・・
暑苦しい夏の夜に、おっかない物語を読んで涼みたいという方は、ぜひ遠藤さんの「怪奇小説集」を読んでくださいね。
くれぐれも念を押しておきますけど、これはユーモア小説集ではありませんからね。本当に怖いんですからね。本当ですよ。よろしく(笑)。