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Channel: 行政書士ふじまるの趣味のページ
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嵐が丘

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 これまでにも当ブログ内で何度かグチりましたけど、私の書いた小説は、群像新人文学賞に応募しても、すばる文学賞に応募しても、文学界新人賞に応募しても、太宰治賞に応募しても、その他なにに応募しても、まったく相手にされません。
 つまり文学の才能が無いということでしょうね。
 それは認めましょう。自分でもたいした才能はないと自覚しているわけですから。
 ただ、どうしても納得できないのは、「では受賞作はどんな優れた作品なの?」と思って読んでみると、何の見所も無いカスみたいな小説なんですよね、これが。
 村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」みたいな優れた小説が受賞するのなら私だって文句は言いませんよ。しかし、そうじゃないでしょう? 実際、受賞した連中はすぐ消えるしさ。芥川賞受賞作家ですら大半は消えていくじゃないですか。
 なぜ俺の小説があんな腑抜けどもの小説よりも下に評価されなければならないんだ?

 同じ事は、このブログについても言えます。
 私のブログへの訪問者数は、毎日100人ほどです。いちばん多い時でも200人くらいです。
 ところが、ランキング上位のブログには、毎日何千人もの人が訪れています。
 私のブログと比べて、それらランキング上位のブログが、そんなに素晴らしいものか? 読むに値するものか? 私は自分のブログの方がずっと優れているし、わざわざ1分や2分の時間を割いてでも読む価値があると自負しております。
 しかしながら、世間の評価はそうじゃないのです。それに私は腹が立つ。

 ・・・えー、話を文学に戻しまして・・・文学、とくに純文学に私が求めるのは、苛烈さです。魂の揺さぶりです。
 文章の上手さとかストーリーの巧みさとかは二の次、三の次。
 まずはパッションです。作者の強烈なエネルギーです。精神波です。
 それが開いたページから飛び出してきて、私たち読者の体を貫き、何かを変えてゆく・・・音も無く静かに変容させていく・・・ドストエフスキーの小説にはそういう力があります・・・もちろんセリーヌの小説にも・・・当ブログの記事「記憶に残る本(海外文学篇)」でご紹介したフラナリー・オコナーの小説や、「記憶に残る本(海外文学篇その2)」でご紹介したマルキ・ド・サドの小説や、モーパッサンの小説にも・・・

 今回ご紹介するエミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」も、そういったパワーに満ち溢れています。
 初めてこの小説を読んだ時、私はストーリーとかの前に、ページ全体から感じられるエミリーの強烈な魂に、まずは圧倒されました。

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 皆さんも本作を一読なされば同じ感想を抱くと思いますし、実際に多くの人が私と似た感想を述べております。本作発表当時、雑誌「イグザミナー」は「これは不思議な本である。明らかに迫力がある」と論評し、「ダグラス・ジェロウズ・ウィークリー・ニュースペーパー」という新聞ではこう紹介されたそうです。
「嵐が丘は並外れた種類の本だ。通例の批評ではまったく歯が立たない。それでも、読み始めると読み終えずにはいられないし、その後放りっぱなして何も言わずにいることもできない・・・珍しいものがお好きな読者にはこの物語をお求めになることを強くお勧めする。このようなものを今まで読まれたことがないことは約束できる」(前田淑江訳)。

 ところで、ここまで当然みなさんはご存知だという前提で話を進めてまいりましたが、念のため確認しておきますけど、「嵐が丘」という小説はご存知ですよね?
 映画化もたくさんされておりますでしょう? いちばん有名なのは、ローレンス・オリヴィエとマール・オベロン主演の1939年版です。

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 ルイス・ブニュエルもメキシコ時代の1953年に「嵐が丘」を映画化しております。まだ観ておりませんので観てみたい作品です。

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 日本でも1988年に松田優作主演で映画化されましたよね。この作品も私は観ておりませんけど、これは特に観なくてもいいかな・・・あはは(汗)・・・

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 日本テレビのバラエティ番組「恋のから騒ぎ」のオープニング曲に使われたケイト・ブッシュが歌う「嵐が丘」という名曲もありました(当ブログの記事「ユーチューブでよく聴く曲(洋楽篇2)」参照)。

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 それから、今年5月には、堀北真希さん主演で舞台化されるそうです。

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 このように日本でもたいへん人気が高い「嵐が丘」ですが、ここでまずそのストーリーを簡単におさらいしてみます。
 イギリスはヨークシャー地方の荒野の中にアーンショー家の館がある。家族は父と母と長男ヒンドリー、長女キャサリンの4人と他に召使いが数名。
 ある日、リバプールへ出張した父が、街中で拾った孤児を連れて帰ってくる。母はカンカンに怒るが、父はヒースクリフと名付けたその孤児を自分の子供たちと一緒に育てることに決める。
 ヒースクリフとキャサリンは大の仲良しになるものの、ヒンドリーはヒースクリフを嫌い、父が死ぬとヒースクリフを召使いの地位に落とす。
 アーンショー家から少し離れた場所にリントンというお金持ちの一家が住んでいた。家族は父と母と長男エドガー、長女イザベラの4人。
 キャサリンはリントン家の長男エドガーと結婚する。それを自分に対するキャサリンの裏切りだと思ったヒースクリフは家を出て姿をくらます。
 数年後、裕福な紳士となって戻って来たヒースクリフは、自分に冷たくしたヒンドリーと自分を裏切ったキャサリンに復讐を企てる・・・というのが、大まかなストーリーです。

 「嵐が丘」を書いたのは、ブロンテ姉妹の2番目、エミリーです。上にシャーロットという姉、下にアンという妹がおりました。姉妹の肖像画が残っております。向かって左から、アン、エミリー、シャーロットです。

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 残念ながら写真は残っていないのですけど、その代わりと言っちゃ何なんですが、1979年公開の映画「ブロンテ姉妹」の写真を貼っておきましょう(この映画、イギリスが舞台なのにフランス映画で、セリフもすべてフランス語なのよね。変な映画w)。
 エミリーを演じたのは、当ブログの記事「セクシーな映画その2」でご紹介したイザベル・アジャーニで、アンを演じたのは「主婦マリーがしたこと」(1988)のイザベル・ユペールでした。

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 他にブランウェルという名前の男の兄弟がいて、映画ではパスカル・グレゴリーが演じておりました。

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 牧師の家に生まれた姉妹たちは、幼い時から芸術の才能豊かで、みんなで詩を書いたり、物語を作ったりしていたそうです。
 やがて、長女シャーロットが書いた小説「ジェーン・エア」が世に出ます。
 「ジェーン・エア」も「嵐が丘」と同じくらい有名でして、何度も映画化やテレビドラマ化されております。その中でいちばん有名なのは、オーソン・ウェルズヒッチコック監督の「レベッカ」(1940)で主演したジョーン・フォンティンによる1943年版です。

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 この作品はエリザベス・テイラーが子役で出演していた事でも有名です。

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 アンも「アグネス・グレイ」等の作品を発表しております。
 しかしながら、ブランウェルは画家を目指すものの(先の肖像画はブランウェルが描いた)芽が出ず、やがて酒と麻薬に溺れていくようになります。シャーロットとアンはだらしのないブランウェルを嫌っていたようですが、エミリーは何かと彼の世話を焼いておりました。

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 三姉妹の中ではエミリーが最も美人だったそうです。彼女の容姿について、このような証言が残っております。
「背の高い、しなやかな体つきの女の子で、半ば女王様のような優雅さであり、彼女の突然の軽やかな動きは半ば野性的であった・・・顔色は透き通ったようで青白かった。濃くたっぷりとした茶色の髪を後ろでスペイン櫛でとめていた。灰色ではしばみ色の大きな目をしていた」(廣田稔訳)。

 しかしながら、優雅な外見とは裏腹にその性格は激しく、狂犬病の犬に噛まれるや、自ら真っ赤に焼けた鉄を傷口に当て焼勺する強さを持っていました。
 また、耄碌して使い物にならなくなった召使いの老婆を親が家から追い出そうとするや、猛然とそれに反対し、逆に自分が老婆の召使いとなり最期まで彼女の世話をする慈悲深く心優しい一面もありました。

 彼女が書いた詩の一節(岸本吉孝訳)。

   臆病な魂は私にはない
   この世の嵐になやむ領域で震える者ではない
   私は天の栄光が輝くのを見る
   また信仰が同じく恐怖から私を守って輝く

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 そんなエミリーは極端な人見知りで、生涯の大半を生まれ故郷のヨークシャー地方ハワースで隠者のように過ごしました。シャーロットが書き残したエミリーの人柄。
「妹の性質は生まれつき社交的ではありませんでした。環境が味方して引き込みがちの傾向になっていました。教会に出かけたり丘を散歩すること以外には彼女はめったに家の敷居をまたぐこともありませんでした。彼女を取り巻く周囲の人たちに対して、彼女は優しい感情を抱いていましたけれど、そうした人々と親しく交わろうとは決してしませんでしたし、極めて僅かな例外を除いて交際を経験したことはありませんでした・・・人々とはめったに一言も言葉を交しませんでした・・・」(廣田稔訳)。

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 他の土地の学校へ留学しては、そこにおける文学の指導を「自分たちの思想や表現の独自性を失わせるものだ」と言って拒否し、終いにはホームシックにかかってすぐ実家へ戻ってくる始末でした。
 エミリーはハワースの荒野の中でしか生きられなかったのです。
 再びシャーロットの言葉です。
「妹は荒野を愛しました。彼女にはバラより明るい花々が、どんなヒースの暗がりにも花咲いていました。鉛色の丘辺の陰うつな窪みにも彼女の心はエデンの園を生み出しました。彼女は荒涼たる寂莫の中に多くの心からの喜びを見出しました。そしてわけでも愛したものは・・・自由でした。自由こそエミリーの鼻孔の吐息でした。それなくしては彼女は息絶えるのでした」(廣田稔訳)。

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 それでは、ほとんど世間と没交渉のまま30年という短い生涯だったエミリーが書いた「嵐が丘」という小説は、どのような物語なのでしょうか?
 雑誌「ユリイカ」1980年2月号に載った野島秀勝氏の「暗い必然 もう一人の『運命の女』」という論文を基に解説させていただきます。

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 ヒースクリフはヒンドリーを破滅させた上でアーンショー家を乗っ取り、さらにリントン家も自分のものにします。
 復讐を果たしたヒースクリフですが、しかしながら彼が最も取り返したかったキャサリンは死んでしまいます。
 キャサリンの死の床を見舞ったヒースクリフは、彼女の裏切りを責めてこう言います。
「いまこそ、きみがどんなに残酷だったか、残酷で不誠実だったか、よくわかる。なぜきみはぼくを軽蔑したんだ? なぜ自分の心を裏切ったんだ、キャシー。・・・・不幸も堕落も死も、神にせよ悪魔にせよぼくたちのうえに加えることができるどんなことも、二人を裂くことなんかできなかったはずなのだから、きみが自分の意志でそうしたんだ。ぼくがきみの心をやぶったんじゃない。きみが自分でやぶったんだ。自分でやぶって、それでぼくの心までやぶってしまったんだ」

 死後、キャサリンの魂は天国へ行けずに荒野を彷徨っている。
 どうしてもキャサリンを諦めきれないヒースクリフはキャサリンの魂と合体することを望み、自分が死んだらキャサリンの棺桶の横に自分の棺桶を置き、向かい合う両棺桶の横板を外し、二人が死後に一つになることを願うようになります。
 こうなるともうヒースクリフは死に向かって一直線です。ヒースクリフは自ら食を絶ちます。
「おれが食べたり眠ったりできないのは、おれのせいじゃない。いいか、これはなにもおれが決めてかかった計画じゃないのだ。できることなら、すぐに食いもし眠りもしよう。だが、それは水のなかでもがいている男に、もう岸に手がとどきそうだというところで、一休みしろというようなもんだ。おれはまず岸につかねばならない。そのあとなら一休みもしよう。おれの魂の喜びがおれの肉体をくらい殺す」

 そして、ヒースクリフの最後の言葉です。
「牧師なんぞこなくていい。おれの上で、もったいぶった文句を言うにはおよばない。いっておくがな、おれはもうおれの天国に、ほとんど入りかけているところなのだ。ほかの人間どもの天国など、全然ありがたくもなければ、ゆきたくもない」

 実に激しい愛です。このように激しくキャサリンを愛したヒースクリフとはいったい何者でしょうか? 
 研究者によれば、ヒースクリフはアーンショー氏がリバプールでよその女に産ませた自分の子供だそうです。そうするとキャサリンとヒースクリフは兄妹同士。いくら愛し合っても一緒にはなれない運命の二人なのでした。

 しかし、たとえそうであってもキャサリンと一体となることを望むヒースクリフ。近親相姦の罪を犯してでもキャサリンと一緒になりたいと願うヒースクリフ。そこがおれの天国だとうそぶくヒースクリフ。
 この発想はどこから来ているのでしょうか?
 研究者の中には、エミリーと兄ブランウェルとの間に何かあったと言う人がいます。実際の行為があったかどうかはともかく、少なくとも精神的には兄と近親相姦していたのかもしれません、エミリーは。

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 酒と麻薬に溺れたブランウェルは体を壊して死にます。
 ブランウェルの埋葬の日の寒さでエミリーは風邪をひき、やがて結核に冒されます。シャーロットが医者を呼ぼうとすると、エミリーは
「毒を盛るしか能のない医者なんかいらない」
 と言ってきっぱり拒否したそうです。そして医者と薬を拒絶し続けながら日常の家事をおこなっていたそうです。
 死んだ日の朝もエミリーはベッドから起きると自分で着替え、櫛で髪を梳かし始めた。
 召使いが様子を見に行くと、部屋の中には骨が焼けるような悪臭が充満しており、その中でエミリーが
「櫛を落としたんだけど、かがんで拾えないの」
 と言った。
 正午近くになるとエミリーの病状はさらに悪化し
「医者を呼ぶのなら、もう呼んでもいい」
 と言ったそうです。これがエミリーの最後の言葉になりました。
 午後2時頃、エミリー死去。享年30歳。ブランウェルの死後わずか3ヶ月後の出来事でした。
 そして、その約半年後、今度は妹のアンも結核で亡くなりました。こちらは享年29歳でした。

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 エミリー・ブロンテの「嵐が丘」、ぜひ読んでみてください。
 魂が揺さぶられますよ。

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