24日に起きた独ジャーマンウィングス9525便墜落の原因は、どうやら副操縦士による意図的な墜落、すなわち乗員乗客150人を巻き込んでの副操縦士による無理心中だそうじゃないですか。
たまりませんねぇ、こういうキ印の道連れにされちゃ。
「死にたいのなら誰にも迷惑をかけずにこっそり一人で死んでくれ!」
本当にそう言ってやりたいです。
ジャーマンウィングス9525便の副操縦士は己の秘めたる目的のために公共の乗り物である飛行機を私的にジャックしたと言えますけど、私的にジャックしたと言えば、27日夜のテレビ朝日「報道ステーション」に出演した元経産省官僚の古賀茂明氏が「自分がこの番組を降板する事になった理由は官邸からの圧力があったからだ」などと予定外の発言をして司会の古舘伊知郎氏と言い争いになる騒ぎがありましたね。
古賀氏は最初からこの不規則発言をするつもりで番組に臨み、番組の一部を私的にジャックしたのでしょう。ジャーマンウィングス9525便の副機長に通じる不気味さを感じるのは私だけでしょうか?
27日のテレビといえば、NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」でマッサンの妻エリーが死ぬ場面が放送されたのですが、「マッサン」の後の情報番組「あさイチ」は司会の有働由美子さんの泣き顔で始まり、ゲストのマッサン(ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝氏がモデル)を演じた玉山鉄二さんとエリーを演じたシャーロット・ケイト・フォックスさんも泣いており、おまけに通訳のおばちゃんまで号泣していたのには笑いました。
その「マッサン」も昨日(28日)の放送で最終回を迎えました。良いドラマでしたよね。このところNHK朝の連続テレビ小説は良作続きです。大河ドラマの方はさっぱりあきまへんけどね・・・あはは(汗)・・・
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さて、今日の本題に移らせていただきます。本日はジャン・リュック・ゴダール監督の映画のお話です。
ゴダール監督の映画では、以前「気狂いピエロ」(1965)をご紹介いたしました。
私は、ランボーの詩とセリーヌの小説が引用される、この「気狂いピエロ」が大好きで大好きで、大学生のとき初めて観て以来、ずっと魅了され続けております。そして、それと共にゴダールが、私の最も敬愛する映画監督になりました。
当時はビデオがまだ普及しておりませんでしたので、私は雑誌「ぴあ」を調べては、ゴダール監督の作品が上映されている映画館や自主上映会へ足を運んだものです。ゴダールの映画に飢えていたのです、当時の私は。
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とはいうものの、ゴダールの映画がそんなに面白いかと訊かれれば、「ん?」と首をかしげなければなりません。確かに「気狂いピエロ」は面白いですよ。でも、他の作品はというと・・・そんなに面白くない・・・と言うか、けっこう退屈・・・眠くなる作品もしばしば・・・というのが正直な感想です。
では、それでもなぜゴダールを求めたのかと申しますと、そこに自分とは異質の感性があったからです。自分には無い上質のセンスが光っていたからです。未知の新しさを感じたからです。
その色彩感覚、詩的な言語表現力、シュールな発想力・・・そういったものを私は吸収したかった。それが今のおれには必要なんだ・・・とその時の私は感じたのです。
私だけじゃなく、多くの人にそう感じさせる魅力があります、ゴダールの映画には。
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ゴダールはまず映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」に寄稿する映画評論家として映画人生をスタートさせました。評論家仲間にはフランソワ・トリュフォーやジャック・リヴェット、エリック・ロメールらがおりました。
やがて、当時の古臭いフランス映画にうんざりしていた彼ら若手の映画評論家たちは、次々と自分たちで映画を作り始めます。それまでに無い新しい感性が満ち溢れた映画を。それはヌーベルヴァーグ(新しい波)と呼ばれるようになります。その中で最も独創的な作品を生み出したのがゴダールでした。
映画監督ジャン・ピエール・メルヴィルはこう言ったそうです(山田宏一訳)。
「ヌーベルヴァーグなんてスタイルは存在しない。もし存在するとしたら、それはゴダール・スタイルのことだ」
ゴダール本人はヌーベルヴァーグについてこう述べております(奥村昭夫訳)。
「私が思うに、ヌーベルヴァーグの唯一の力は、ある時期に三、四人の者が互いに語り合い、運動のなかで何本かの映画をつくり、ついでにそれぞれが散らばっていったことのなかにあります。ほかの連中は互いに語り合あうというのとをせず、次第に硬直化していったのです。ルノワールはドラノワやカルネに向かって、映画のことについてはごくわずかのことも言わなかったはずです。反対に、ピカソはデビュー当時、ブラックと大いに議論していました。そしてそのおかげで、かれらは障壁を突破することができたのです。そこにかれらの力があったのです」
ゴダールの記念すべき長編第1作は「勝手にしやがれ」(1960)でした。
ジャン・ポール・ベルモンド演じる無軌道な若者が、アメリカ娘に恋をし、最後はその娘の通報により警察に射殺される物語です。
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ジャンプカット、隠しカメラによる街頭撮影、即興演出など斬新な手法が世界を驚かせました。もっともゴダールの即興演出に関しては、批評家のミシェル・ジェラック氏がこう発言しております(田山力哉訳)。
「偶然に、キレッパシで作られ、始めも終わりもなく、ミリューもなく、シッポも頭もなくできているように思われる彼の映画は、実際には十回も二十回も組み立てられていた。そして最後に、前の二十回とは、まったく関係のない二十一回目の分が撮影されることになるのだ。下書きを訂正し、プランをたて、計算することによって、彼は幾つかのクセを克服するに至るのだ」
「勝手にしやがれ」撮影初日の模様を、主演のベルモンドが、こう証言しております(山田宏一訳)。
「撮影の初日は、俺が電話ボックスのなかに入るカットから始まった。なんでもいいから、好きなことをしゃべってくれ、とゴダールは言った。そのカットがすむと、ゴダールは、うん、よし、もうアイディアがなくなった、ここはやめて、よそへ行こう、と言った。プロデューサーのボールガールは、なにがなんだかさっぱりわからず、呆然と立っていたね。俺もこのやりかたにはすっかり面喰った」
「勝手にしやがれ」を制作するにあたり「技術的には、自分がつくろうとするものについての正確な考えを持っていたのですか?」という質問に対し、ゴダールはこう答えています(奥村昭夫訳)。
「もっていなかったのです。私はフリッツ・ラングふうの映画をつくろうと考えていました。「外套と短剣」のような探偵映画をつくるつもりだったのです。ところができあがってみると、「赤頭巾ちゃん」とか「不思議の国のアリス」とかに近いものになっていました・・・」
フランソワ・トリュフォーは「勝手にしやがれ」の感想をこう述べています(山田宏一訳)。
「これは胸をかきむしられるような、悲痛な映画だ。そこには、アラゴンの言う、《深い、深い、深い》悲しみがある」
ヒロインのアメリカ娘を演じたジーン・セバーグが美しかったですよね。ゴダールは女性を美しく撮るのが得意です。
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しかしながら、長編第2作目の「小さな兵隊」(1960)から、ゴダール映画には新たなヒロインが登場することになります。
それが、ゴダールの妻となった、デンマーク生まれの女優、アンナ・カリーナです。
アンナ・カリーナはゴダールの女神であり、彼女との出会いと別れがゴダールを世界の巨匠に育てたと言っても過言ではないでしょう。
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アンナ・カリーナにぞっこん惚れ込んだゴダールは、彼女を主演にしてゴダール初のカラー映画「女は女である」(1961)や、
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売春婦に転落した女の哀しい運命を描いた「女と男のいる舗道」(1962)を発表します。
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「女と男のいる舗道」は邦題がステキですし、この作品の時のアンナ・カリーナは本当にきれいでしたね。
また、劇中でカリーナが、実在の哲学者ブリス・パランと、言葉について哲学的な会話をするシーンが良かったです。
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しかしながら、ゴダールの幸せな時期は長く続きませんでした。アンナ・カリーナがゴダールに愛想をつかしたのです。
「どこがいやになったかって、口では言えないわ。要するにジャン・リュックと一緒にいると息がつまりそうなの。彼は決して面と向かって声を荒立てたり、怒ったりはしませんが、彼のインギンな無表情の裏には鉄のような意思がこめられています。ところが日常の家庭生活のことでは、意思も何もないの。ビフテキが焼けすぎたとか、シャツのボタンがとれかけたなどということに関してはね。ところが頭の中に一つの思想ができたら、もう彼の考えを変えさせることは不可能なの」(田山力哉訳)。
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「ジャン・リュックは、一番たのしかったハネムーン時代にも、固い殻に閉じこもった独身男のような側面があり、夜も片眼をあけて眠るようなところがありました。私はついに彼と内面生活のすべてを分かち合うことが出来ませんでした。彼の世界に、私はどうしても近づくことは出来ません。そのくせ彼は仕事のうえでは、誰の助けも必要としないのに、生活と愛情の面では、ひそかな叫び声をあげて、やさしさを要求するのです。生活の上でも仕事の面でも、ジャン・リュックには子供のような激しい衝動が絶えませんでした。つまるところ、彼は賭博師。しかめつらしい、額にしわをよせた、甘やかされた子供の衝動にあふれた賭博師です」(山田宏一訳)。
ゴダールのようなタイプの映画監督の場合、生活や精神の状態がすぐ作品に反映されますから、アンナ・カリーナとの夫婦生活の危機もすぐさま作品に投影され、ゴダールはブリジット・バルドー主演で「軽蔑」(1963)を撮ります(本当はカリーナ主演で撮りたかった?)。
映画プロデューサーにヘコヘコした態度をとった脚本家が、妻から軽蔑されるという物語です。
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本作には実在の映画監督フリッツ・ラングが本人役で出演しております。下の写真の向かって左から二番目の片眼鏡の爺さんがそうです。
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彼は「ドクトル・マブゼ」(1922)、「メトロポリス」(1927)、「飾り窓の女」(1944)等で有名なドイツ映画界の巨匠です(下の写真は「メトロポリス」)。
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ゴダールは尊敬する映画監督を自分の作品に出演させるのがお好きなようで、「気狂いピエロ」にはサミュエル・フラーが出ておりましたね。
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劇中、フリッツ・ラングはとても高尚な映画を撮っているのですが「あんまり高邁すぎて、彼が撮影中の作品のラッシュ試写はギリシャ彫刻のマンガみたいなものしか出てこない。これはゴダールの冗談だろう」(佐藤忠男)。
このシーンについて作家の中上健次氏がこう述べております。
「なんでかわかんないんだけどさ。いや、わかるんだけど。銅像があって、目が青いんだね。神の眼の紫の光よ、って感じで。それを撮っているわけ。2ショットぐらいあるんだけど。おもしろかったな」
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主演のブリジット・バルドーは「フランスのマリリン・モンロー」と讃えられた女優でして、後年は随分とケバくなりましたけど、
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若い頃は仔リスのように可愛くセクシーなお姉ちゃんでした。
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バルドーの出演作の中では「素直な悪女」(1956)と「月夜の宝石」(1958)が、私は好きです。
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結局、抵抗虚しくゴダールはアンナ・カリーナと離婚することになります。
それでもカリーナを諦めきれないゴダールは、彼女主演でSF映画「アルファヴィル」(1965)を撮ります。架空の未来都市アルファヴィルで(未来都市といっても車や街の風景は1960年代のもの)、愛という感情を失った未来人に愛を思い出させる物語です。
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そして遂に、離れていく女とそれを引き留めようとする男を描いた、ゴダールの最高傑作「気狂いピエロ」が登場します。
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この時期、ゴダールはカリーナと共に死ぬシーンを夢想することがあったのでしょうか? ダイナマイトで一緒に吹っ飛ぶシーンを。
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しかしながら、無情にもカリーナは、ゴダールとの縁をチョッキンと切ってしまいます。女って冷たいわぁ。トホホ・・・
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アンナ・カリーナとはもう一本「メイド・イン・USA」(1966)という作品を撮りましたけど、もうダメですね、カリーナの心は完全にゴダールから離れておりましたし、それと共に作品の出来もイマイチでした。
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アンナ・カリーナと決別したゴダールは次第に革命思想に傾倒し始め、商業映画の世界から離れていきます。
この時期、新たにゴダールのパートナーになったのが、ノーベル文学賞作家モーリアックの孫である女優、アンヌ・ヴィアゼムスキーです。
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ゴダールはアンヌ・ヴィアゼムスキー主演で「中国女」(1967)や
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「ワン・プラス・ワン」(1968)を撮ります。
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このうち「ワン・プラス・ワン」は、一方でザ・ローリングストーンズの新曲のレコーディング風景を撮りながら、他方で黒人解放運動など巷に漂う革命の空気を撮った作品で、私はたいへん気に入っております。
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スクラップ自動車置き場で本を読みながら革命思想を語る黒人たちのシーンが好きでした。
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商業映画では、この時期、「ウィークエンド」(1967)という作品を発表しております。
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郊外へドライブに出かけた夫婦。しかし、ひどい渋滞に巻き込まれ、イライラしているうちに皆が凶暴になり、やがては殺し合いを始めるという、ナンセンスなドタバタ映画です。
ゴダールはこの作品に文明批評をこめたのかもしれませんけど、私にはひどく退屈なだけの作品でした。
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主演はミレーユ・ダルク。私が中学生のころ活躍していた、ちょっと猿顔の、セクシーな女優さんです。ナタリー・ドロンと離婚した後のアラン・ドロンの恋人としても有名でした。
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イメチェンを狙ってゴダールの映画に出演したミレーユ・ダルクでしたが、山田宏一氏のインタビューによれば、彼女は出演したことをひどく後悔していたようです。
・・・撮影中、あんなにつらかったことはありません。それに、不愉快でした。ジャン=リュック・ゴダールは撮影中、ああしろ、こうしろと一方的に指示をするだけで、どういうふうにやればいいのか、なぜそうするのか、まったく説明してくれない。会話のようなものができない。誰とも何も話さない。ただ、俳優をいろいろなシチュエーションのなかに投げこんで、反応を試してみるだけ。俳優はまるで実験動物なみ。物としてしかあつかわないこともある。だから、彼の映画に出る俳優は相当マゾヒストでなければ耐えられないと思いますね。監督と俳優のあいだには何のコミュニケーションもコンタクトもない。シナリオもない。何もない。その役柄や演技にどんな意味があるのか、俳優はいったい何をやっているのか、まったく何もわからない。これからどんなシーンを撮るのか、どんな役なのか、どんなふうに演じればいいのか、監督からは何の説明もない。ただ、左を向け、右を向け、進め、とまれ、と命令するだけ。俳優にとって、あれほどおもしろくない撮影もないんじゃないかと思います。俳優だって人間ですから、監督と親密に理解し合って、一種の共謀者になりたい、そうやって作品に参加したいと思うのが当然です。いっしょに映画をつくっているのですから。でなければ、やり甲斐がないと思うのです・・・
このインタビューの最後にミレーユは「ゴダールとは二度と一緒に仕事をしたくない」と申しております。トホホ・・・
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また、別のところでミレーヌは、こうも言っております。
「ゴダールは私をびくびくさせたわ。彼が静かにしているときは、彼の胸中にインスピレーションがわいているのだと思って、まわりの人たちが気を使ってシーンとしてしまうの。彼自身はいつも無言のままよ。こういう人に対する恐れの感情を《尊敬》というのかしらね」
1970年代、ゴダールは革命思想の映画作成に没頭し、一般の人向きの作品は作りませんでした。ゴダールが商業映画の世界へ戻って来たのは1980年代に入ってからです。「勝手に逃げろ/人生」(1980)、「パッション」(1982)、「カルメンという名の女」(1983)と続々と作品が公開され始めました。
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このうち「カルメンという名の女」は公開時に劇場へ観に行きましたが、つまらない映画でしたねぇ。
入院しているゴダール(本人が出演している)の病室から聞こえる廊下を歩く人の足音、話声、医療道具のガチャガチャいう音などすべての音を偏執狂的に集音しているところだけが唯一良くて、他はどうでも良い映画でした。
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その後、ゴダールは「ゴダールのマリア」(1985)、「ゴダールの探偵」(1985)、「ゴダールのリア王」(1987)、「右側に気をつけろ」(1987)・・・と作品を発表してゆきますが、観る価値を感じない映画ばかりでした。
ゴダールの画期的だったところの一つは、現代のトーキー映画にサイレント映画の息遣いを注入した点にあると思います。ゴダールの映画は書かれた文字に溢れています。まるでサイレント映画のように。
「サイレント映画とトーキー映画の大きな違いは、サイレントでは言葉が口のわきにあったのに対し、トーキーでは言葉が口のうえにもどったというところにあります。でも人々は、サイレント映画では映像のカットと字幕のカットの間にひとつの断層があったということを忘れているのです。そしてその断層はどこへ行ったのでしょうか? カットとカットの関係という問題は、トーキーの出現とともにまったく違った形で提起されることになったのです。ところが人々は、こうしたことは少しも考えていないのです・・・」
ゴダールの映画、特に1960年代の作品を、ぜひご覧になってみてください。
おしゃれで、鋭くて、知的で、美しくて、精神が生き生きしていて・・・感性が磨かれますよ。おススメです♪