高倉健さんがお亡くなりになりました。
自分の美学を持ったカッコいい人でしたよね。私生活を人前に晒さず、ミステリアスなところが魅力でした。
今の俳優はちょっと売れると、すぐテレビのバラエティ番組に出てはおちゃらけて、自分のプライバシーを切り売りしちゃいますけど、それじゃダメなんですよね。
夢を売る職業である俳優、その中でもスターは生活感の無い謎めいた存在でなくちゃ。高倉健さんや田村正和さんを、ぜひ見習っていただきたいものです。
そういえば、現在の日本映画界において、女優のトップが吉永小百合さんなら、男優のトップが高倉健さんでした。健さん亡き今、誰が男優のトップに立つのでしょうか?
渡哲也さんでしょうか? 北大路欣也さんでしょうか?
高倉健さんは俳優としても尊敬されていましたが、それ以上に人格者として人々から尊敬されておりました。
ビートたけしさんがよくテレビでしゃべっているように、撮影現場では椅子に座らない、寒くても火にあたらない、打ち上げの席で自分だけに特別のご馳走が出されても決して口にせず、他の人たちと同じ料理だけを食べる・・・等その手のエピソードには事欠きません。
ユーチューブにアップされていた爆笑問題が司会するテレビ番組で、千葉真一さんと梅宮辰夫さんが高倉健さんの素晴らしき人間性を語っておりました。
東映の若手俳優時代、千葉さんは撮影所の組合長と大ゲンカして、彼の頭をポカリ。撮影所内では千葉をクビにしろ、という話になった。健さんの部屋へ呼ばれた千葉さんは、健さんから
「みんながおまえをクビにすると言っているけど、おまえどうするつもりだ?」
そう問われると
「別に役者として間違ったことをしたわけじゃありませんから、クビならクビでいいです」
と答えた。
「だけど、撮影所やめたら、明日からどうやって食っていくんだ?」
「どうにかします」
「仕事なんか簡単に見つかるもんじゃないぞ」
こんな風にさんざん説得され、ついに千葉さんが
「分かりました。健さん、もう辞めるなんて言いません」
そう言うと、健さんは千葉さんを連れて撮影所内の全部署を頭を下げて回ってくれたそうです。それ以来、千葉さんは《健さん命》になった、と。
また、若手俳優時代の梅宮さんが夜中、女の子二人を連れて六本木のクラブへ遊びに行ったところ、何といちばん奥の席で健さんと長嶋茂雄さんが向かい合ってコーヒーを飲んでいた!
「辰夫、明日のセリフはちゃんと憶えたのか?」
健さんにそう訊かれた梅宮さんが
「明日の朝、憶えます」
と答えると
「そんな事だから、おまえは役者として伸びないんだよ」
すっかり面白くなくなった梅宮さんはそのまま帰宅し、翌日、撮影所内にある健さんの部屋を
「健さん、ゆうべはすいませんでした」
と訪ね、思い切ってこう言った。
「でもね、健さん、こう言っちゃ悪いけど、ボクの方がまともだと思いますよ。夜中に女の子を連れて遊び歩いているのと、大の男が二人でコーヒーを飲んでいるのと、どっちが健全だと思いますか? そもそも男と女はヤルように出来ているんですよ」
健さんは恐い顔をして黙って聞いている。これは少し言いすぎたかなと梅宮さんが反省していると、数日後、健さんに呼ばれ、ただ一言
「辰夫、おまえの言う通りだ」
梅宮さんは思わずガッツポーズしたそうです(笑)。
興味のある方はユーチューブでご覧になってみてください。
高倉健さんは、まず東映の任侠映画やヤクザ映画で人気者となりました。
私はこの類の映画はあまり観ていないのですけど(サウナに行くとよく上映されていたなぁ・・・)、「網走番外地」シリーズは有名ですよね。
網走小学校卒業の私は《番外地》に住んでいたんですね。そういえば北海道の人たちは、本州に住む人たちの事を《内地の人》と呼んでおりましたっけ。トホホ・・・
それから、当ブログの記事「わが愛しの邦画大女優その3」でご紹介した藤純子(現・富司純子)さん主演の「緋牡丹博徒」シリーズ(1968年~)で、敵の一家に殴り込みに行く緋牡丹のお竜さんに
「お伴させてもらいます」
そう言って助太刀するヤクザ役がカッコ良かったです。
しかしながら、私の世代が健さんをカッコいいと思い始めたのは、健さんが東映を退社してフリーになって以降です。
まずは、当ブログの記事「追悼・三國連太郎」と「大好きな日本映画その2」でご紹介した「八甲田山」(1977)。
日露戦争で予想される寒冷地における戦闘訓練のため、真冬の八甲田山踏破を命じられた健さん演じる弘前歩兵第三十一連隊の徳島大尉と、北大路欣也さん演じる青森歩兵第五連隊の神田大尉。二人は八甲田山の途中でおち合う約束をする。
ところが、少数精鋭で出発した徳島隊と違い、神田隊の方は三國連太郎さん演じる憎ったらしい山田少佐の横やりのせいで総勢210名の大所帯に。しかも、山田少佐がその後もあれこれ口を出してくるので、哀れ神田隊は道に迷い、そのほとんどが遭難する・・・
健さんと北大路さんの凛々しい軍人ぶりがとっても素敵でした。芥川也寸志さんが作曲したテーマ曲も心に残ります。大好きな映画です。ぜひご覧になってみてください。
続いて、当ブログの記事「ブラック・レイン」でご紹介した「幸福の黄色いハンカチ」(1977)。
ピート・ハミル原作の小説を「男はつらいよ」シリーズの山田洋次監督が映画化した本作が、私的には健さんのベストです。
失恋でヤケクソになり工場を辞め北海道へ車で旅に来た武田鉄矢さん演じる欽也と、これまた失恋の傷を癒すために北海道へやって来た桃井かおりさん演じる朱美。この二人の若者(当時は若かったんですよ、お二人ともw)と偶然一緒に旅をすることになった健さん演じる中年男・勇作。
勇作は元・夕張の炭鉱夫で、倍賞千恵子さん演じる妻・光枝が流産したショックで酒に溺れ、その挙句にケンカして人を殺し、6年間網走刑務所に服役していた男だった。
出所した勇作は光枝に手紙を書き、もしまだ俺を待ってくれているのなら目印として家の前に黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ。ハンカチが無ければ、俺は黙って立ち去るから、と書く。
その話を聞いた欣也と朱美は勇作を車に乗せ、夕張へ向かう。果たして黄色いハンカチはあるのか?・・・というのが大まかなストーリーです。
網走刑務所を出所した健さんが、食堂に入って6年ぶりにビールを飲み、ラーメンとかつ丼を食べる冒頭のシーンが好きです。
当時、健さんは46歳。油が乗りきった時期でした。
また、「母に捧げるバラード」の大ヒットの後、鳴かず飛ばずだった武田鉄矢さんは、本作で役者に開眼いたしました。
日本映画を代表する傑作です。まだ観ていない方は、ぜひご覧になってみてくださいね。泣けますよ。
山田監督は、健さんと倍賞さん主演で、同じテイストの映画「遥かなる山の呼び声」(1980)も撮りました。こちらも一緒にどうぞ。
健さん主演の映画では、薬師丸ひろ子さんと共演した角川映画「野性の証明」(1978)も忘れられません。
健さんは外国映画にも何本か出演していて、私が中学生の時、ロバート・ミッチャムと共演した「ザ・ヤクザ」(1974)が公開されました。面白くありませんでしたけど。
「ミスター・ベースボール」(1993)という映画もありましたよね。私は観ておりませんけど。
松田優作の遺作となった「ブラック・レイン」(1989)ですね、何と言っても素晴らしいのは。
大阪の街を健さんとマイケル・ダグラスが優作演じるヤクザ佐藤を追いかけます。
健さんがダグラスと二人でうどんを食べるシーンが好きです。
外国好きの健さんは英語も流暢でした。
安倍総理が消費税増税の先送りと衆議院の解散を表明したんでしたっけ? 困るなぁ、健さんの記事が新聞のトップに来なくなるじゃないのよ。
それはともかく、最後に健さんの座右の銘を引用して本日はお終いにいたします。
高倉健さん・・・本当に素敵な男でした。年をとった後もお腹が出ることなく、いつもシュッとしていて、カッコ良いままお亡くなりになった点も、お見事です。絵になる男、正真正銘のスターでした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」