マスコミの報道によると安倍総理は来週にも衆議院の解散を表明するそうですけど、本当なのでしょうか?
そもそもなぜいま解散しなければならないのか? それが私には理解できません。
確かにこのところ安倍政権の支持率は下がっておりますけど、消費税増税を先送りすればまた上がるでしょうし、選挙をやれば負けはしませんけど確実に現有議席より減るんですよ。それなのに任期をまだ2年残して解散することに何のメリットがあるのでしょうか?
私が思いますに、たぶんこれは《政治とカネ問題》の追及で勢いを増している野党に対する安倍さんの嫌がらせなのでしょうね。でも、税金を何百億円も使って嫌がらせされてもね。国民はいい迷惑ですわな。
その安倍総理は今週、北京でおこなわれたAPECの首脳会議に出席いたしましたけど、その際の習近平の態度、あれは何よ? ブスッとしちゃってさ。安倍さんが挨拶しても何も答えないでやがんの。まったく失礼極まりない態度でしたね。
習近平が日本に対してよからぬ思いを抱いている(当然こちらも同じですけど)のは理解できますけど、公の場であのような態度をとるようでは政治家としては2流と言わざるを得ませんな。周恩来なら絶対にあんな態度はとらなかったでしょうからね。最近の小物政治家どもは、すぐ思っている事を言動に出しちゃうんだから。ああ、情けなや。
その中国ですが、小笠原諸島沖の密漁船は、もう中国に帰ったのでしょうか? 日本政府は何を遠慮しているんでしょうね? あんな無法者どもはぜんぶ拿捕して、乗組員全員に10年くらい強制労働させればいいんですよ。甘いですよね、日本は。
というように、今週は中国に関する話題が多かったので、今回は中国を舞台にした名作映画「ラストエンペラー」(1987)をご紹介したいと思います。
そういえば私は以前から、自分が愛する良質の小説や映画やその他の芸術作品をぜんぶ紹介し終えたらこのブログは最終回となると申しておりまして、そのわりにはなかなか最終回にならなくて恐縮しておるのですけど、前回ついにフェリーニまでたどり着きましたから、だいぶ残りが少なくなってまいりました。カリキュラムはあとちょっとです。
年内に最終回を迎えるのは難しいでしょうけど(毎日記事を書けば可能ですけど・・・)、いましばらくの間お付き合いくださいね。あはは。
さて、「ラストエンペラー」です。
監督のベルナルド・ベルトルッチは、元々ヌーベルヴァーグの作品に影響を受けて映画を撮り始めた人でした。「革命前夜」(1964)が、この時期の作品です。私には面白かった記憶はありません。
「暗殺の森」(1970)は、ベルトルッチの代表作のひとつですけど、これもたいして面白くなかったような・・・
大好きなドミニク・サンダは美しかったですけど・・・
そして「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972)。
センセーショナルな話題を振りまいたこの作品で、ベルトルッチは世界的に有名になります。
何がセンセーショナルだったかと申しますと、その性描写がです。とてつもなくエッチな映画がやって来た、というのが当時のふれこみでした。
北海道北見市に住む中学生だった私は、この映画が観たくて観たくて、この時ほど早く大人になりたいと思ったことはありませんでした。あはは(汗)・・・
大人になった後、ビデオでこの作品を観ましたけど、特にいやらしくもなく・・・現在ネットを検索すればノーカット版が観れますけど、それを観ても別に・・・何だったんでしょうね、ものすごくエッチだという評判は・・・狐につままれた気分というのは、こういうのを指すのでしょうか?
それと、この作品で一躍セクシークイーンに躍り出たマリア・シュナイダー(本人は出演したことを後悔していたそうですけど)。
つまらない映画でしたけど、ベルトルッチ独特の映像美が素晴らしく、またテーマ曲が素敵でした。それだけですね、私には、この映画は。
ヌーベルヴァーグで出発したベルトルッチでしたが、その作風は次第にヴィスコンティに近づいていきます。
それを象徴する作品が「1900年」(1976)です。
共に1900年生まれの地主の息子と小作人の息子、二人の人生を通してイタリアの現代史を描く作品です。
上のパンフレットにも書いておりますけど、上映時間は何と5時間半ですよ、あーた。観るだけで大変な苦労です。
小作人の息子を演じるのは、当ブログの記事「黄金の七人」でご紹介した「バルスーズ」(1974)やイザベル・アジャーニ主演の「カミーユ・クローデル」(1988)で彫刻家ロダンを演じたジェラール・ドパルデュー。
私の愛するドミニク・サンダも出ております。
ヴィスコンティ監督の「山猫」(1963)と「家族の肖像」(1976)に出演したバート・ランカスターも。
それから大人気テレビドラマ「24-TWENTY FOUR」でジャック・バウアー捜査官を演じたキーファー・サザーランドのお父さんドナルド・サザーランドが狂気の演技を見せてくれます。これはちょっと衝撃的ですよ。観るとトラウマになるかも。
衝撃的と言えば、劇中でデ・ニーロとドパルデューが、ステファニア・カッシーニという女優さんが演じる洗濯女に、ふたり同時に両手でチ○コをしごかれるシーンが出てまいります。ノーカット版で確認いたしましたところ、本当にしごかれておりました(笑)。衝撃的です。
女優さんも大変ですね、こんな事までしなくちゃならなくって。
ということで、共産主義バンザイというラストにはいささか辟易しますけど、本作はデ・ニーロのチ○コが拝める得難い作品でもありますので、体力が余っている方はぜひご覧になってみてくださいね(私はもう勘弁ですw)。
と、まぁ、以上のように、ここまでのベルトルッチ作品は、正直あまり好きじゃないのですけど、いよいよ今日の本題である「ラストエンペラー」・・・これは素晴らしい。これは大好きです。ベルトルッチの他の作品は観なくていいですけど、この「ラストエンペラー」だけは絶対に観ていただきたいと思います。
ライバルの美女の手足を切って甕の中で飼ったというおっかない伝説がある(ウソらしいですけど)西太后。指にはめた長い鉄の爪がチャームポイントです。
確かNHKのドラマでは田中裕子さんが演じていらっしゃいましたよね。そっくりでしたw
その西太后の指名により僅か2歳にして清朝最後の皇帝となった溥儀の、時代の波に翻弄された数奇な人生を描いた本作は、センスの良い映像美に溢れ、ドラマとしてもたいへん重厚で見応えのある、これぞ傑作と言う感じの作品に仕上がっております。
特に紫禁城でロケした溥儀の戴冠式のシーンは見事の一言に尽きます。
溥儀を演じたのは、ジョン・ローン。
その正妻を演じたのは、デイヴィッド・リンチ監督の人気テレビドラマ「ツイン・ピークス」に出演していたジョアン・チュンでした。
溥儀にコオロギの壺を渡す家来を演じたのが、私があまりの怖さに気絶した(当ブログの記事「ウィッカーマン」および「何がジェーンに起こったか?」参照)ジョン・カーペンター監督の「パラダイム」(1987)等この時期の映画でよく見かけた、つぶれた左目が印象的な、ヴィクター・ウォン。
満洲国皇帝に祭り上げられた溥儀を陰で操る甘粕大尉を演じたのが、音楽も担当した坂本龍一さん。演技はともかく音楽は素晴らしかったです。坂本さんは、この作品でアカデミー賞を受賞し、世界的な音楽家になりました。
ただ、矢野顕子さんもおっしゃっておりましたけど、坂本さんが作曲した本作のテーマ曲を聴くと、昔なつかしい富田勲さん作曲のNHK「新日本紀行」のテーマ曲を思い浮かべちゃうんですよね。別にパクリだと言っているわけじゃありませんよ。ただ、富田先生は偉大な音楽家だったんだなぁと思ってさ・・・
他の出演者では、溥儀の教育係である戦犯収容所所長を演じた英若誠という俳優さんが、人間味溢れる良い味を出していらっしゃいました。
また、溥儀の召使いを演じたデニス・ダン(彼は「パラダイム」にも出ていた)と、甘粕と共に満洲国を牛耳っていた吉岡中将を演じた池田史比古さんも好演なさっておりました。
革命により紫禁城を追われた溥儀は、日本軍により満洲国皇帝に祭り上げられるものの、それは完全な傀儡であり、溥儀には何の実権も無かった。
屈辱的な生活の中、側室は逃亡。正室はアヘン中毒となり、不倫相手のお抱え運転手との間に子を宿す。そして、生まれてきた子供を処分された正室は、そのショックで発狂する。
日本の敗戦により戦犯となった溥儀は、収容所へ収監され長い時をかけて思想改造される。
ようやく恩赦で収容所を出た溥儀は植物園の庭師として平凡な生活を送っていたが、時代はまたしても激しく変動し、文化大革命の嵐の中、自分を指導してくれた収容所所長が、今度は悪人として紅衛兵に護送される現実を目の当たりにして、改めて時代に翻弄される人間のはかなさを思い知る。
そしてラストです。このラストシーンが実にいいんですわ。
年老いた溥儀は観光施設となっている紫禁城へ入場料を支払って入場する。遅い時間なので他に客はいない。
かって自分が座った玉座に近づこうとすると、「入っちゃダメだよ」と叫びながら小さな子供が駆けてくる。聞けばここに住む守衛の息子だそうである。その子に溥儀は
「おじさんも昔ここに住んでいて、あそこに座っていたんだよ」
と言って玉座を指さす。
「それなら、その証拠を見せてよ」
そう言われた溥儀は、玉座の後ろから小さな壺を取り出し、守衛の子に渡す。守衛の子がその壺をしげしげと眺めたあと顔を上げると、すぐ横にいたはずの溥儀がいない。高い場所からあたりを見回しても溥儀はいない。その時、壺の中から一匹のコオロギが這い出てくる・・・
とても幻想的で詩的で美しい心に残るラストシーンでした。