暑いですね。今日明日は真夏日だそうです。私はすでに夏バテ気味です(笑)。
日本維新の会が分裂ですか。ま、遅かれ早かれこうなる運命でしたよね。でも、これで石原さんは自民党にすり寄っていくでしょうし、日本からどんどん野党が消えていきますね。果たしてこれがいいのか悪いのか・・・自民党支持の私としても少し不安なんですけど・・・
さて、前回キャンディーズを取り上げた際に、懐かしのテレビ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」について言及いたしました。
考えてみれば懐かしいテレビ番組はまだ他にもたくさんありますので、これから2回に分けてご紹介しようと思います。いつもの事ながら古い話ばかりで恐縮ですけど、お付き合いくださいね。
「ドカンと一発60分!」
前回ご紹介した《電線音頭》ですけど、実は「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」で初登場したわけではないんですよね。その前にこの番組で桂三枝(現・六代目桂文枝)さんが歌っていたのです。ですから、電線音頭の発案者は、本当は三枝さんなのかもしれません。
でね、どういうシチュエーションで電線音頭が登場するかと申しますとね、三枝さんと当ブログの記事「気になる女性たち2(外人さん篇)」でご紹介したキャロライン洋子さんが新婚の夫婦役で、二人で居間の炬燵に入ってイチャイチャしていると、突然そこへ断りも無く町内会の一団(この時はまだ電線軍団ではなかった)が乗り込んできて
「何ですか、あなたたちは?」
と驚き慌てる三枝さんをよそに町内会の連中が勝手に部屋の中へ町内会の横断幕を広げ、マイク代わりのオタマを持った小松政夫さんが飛び出してきて
「涙、なーみだの電線音頭」
と司会を始め、そのあと無理やり炬燵のうえに上がらされた三枝さんが、わけの分からないまま
「チュチュンがチュン♪」
とお馴染み電線音頭を歌わされるという何ともシュールな一幕でした。
私はこのくだりが面白くて大好きだったのですけど、世間一般にはそれほど人気が出なかったようです。どうしてなんでしょうね? しかしながら、電線音頭はその後「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」で復活し大人気となるというのは、前回ご説明した通りです。
それから、この番組では、お笑い芸人を生きた虎がいる檻の中へ閉じ込めるというドッキリもやっておりました。この《トラ地獄》もたいへん可笑しかったのですけど、「低俗の極み」と世間の評価は厳しかったですね。でも、私は好きでした。
「TVジョッキー」
私にはまったく記憶が無いのですけど「ドカンと一発60分!」の総合司会は、土居まさるさんだったようです。
土居まさる・・・この名前を聞いて今いったい何人の人がピンと来るのでしょうか?
しかし、1970年代には、土居まさるさんは日本を代表する超人気売れっ子司会者であったのです。その土居さん司会の代表的な番組が、日曜日の午後に放送していたこの「TVジョッキー」でした。
私も毎週観ておりました。特におならでロウソクの火を消す人やガラスを食べる人などが登場する「奇人・変人コーナー」が人気でしたね。登場した一般人出演者がもらえる白いギターを、私も欲しかったです。たしか「とんねるず」の二人が、素人時代に、このコーナーに出たのではなかったでしょうか?
この番組のアシスタント役の女性は何人か変わったのですけど、その中でも相本久美子さんが特に印象深いです。いちばん可愛かったですから。
相本さんのお写真をもう一枚。
うーん、可愛い(笑)!
ただ、1980年代に入ると、土居さんの人気は急速に下がってゆき、それと共に「TVジョッキー」も終了いたします。その後はビートたけしさん司会の「スーパージョッキー」が始まりました。
この「スーパージョッキー」がまた面白かったですよね。特に《熱湯コマーシャル》のコーナーが。
「日米対抗ローラーゲーム」
土居まさるさん司会・実況の番組をもうひとつ。
1970年代前半の日本で大ブームとなったローラーゲームです。
これは(私もよくルールを理解していないのですけど)日米のチームが男女5人ずつ交代に登場し、相手チームの選手を殴ったり蹴ったりして妨害しながら、とにかく早く規定周回数を回った方が勝ちという、言わばローラースケートを履いたプロレスです。
プロレスですから純粋なスポーツ競技では無いのですけど、その目新しさから大人気となったわけです。私ら小学生のガキんちょも毎週楽しみにしておりました。
当時、ローラーゲームは本場アメリカでも大人気だったらしく、当ブログの記事「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」で取り上げた「チャーリーズ・エンジェル」の中にも、70年代のセクシークイーン、ファラ・フォーセットがローラーゲームの選手を演じる回がありました。
で、ローラーゲームと言えば、東京ボンバーズ。そして、東京ボンバーズと言えば、(男はどうでもいいけど)女性チームキャプテンの佐々木陽子さんです。
佐々木陽子さん・・・カッコ良かったなぁ・・・長い黒髪をなびかせてさ・・・イカすお姉さんといった感じで・・・
当時の佐々木さんは(タイプは随分ちがいますけど)現在の浅田真央ちゃん並みのスポーツアイドルでした。
私的には東京ボンバーズ所属の白人選手コリーン・ミュレルちゃんも大好きでした。
下の写真のようなアメリカチームの悪徳マネージャーが、走っている日本人選手を濡れて重くなったタオルで叩いて妨害するんですよね。ホント憎ったらしかったです(笑)。
大人気だったローラーゲームも1970年代後半になると跡形もなく消え失せます。いったい何だったんでしょうか、あのブームは?
「ハグラー対レナード」
ローラーゲームの話が出たついでにスポーツ関係の話題をもう一つ。
1970年代が終わり、1980年代が始まると(当ブログの記事「Wカップサッカー」でもいちど言及いたしましたけど)スポーツの世界ではスーパースターがたくさん現れました。
男子テニスのビョルン・ボルグとジョン・マッケンロー。
女子テニスのマルチナ・ナブラチロワ。
サッカーのディエゴ・マラドーナ。
F1のアラン・プロストとアイルトン・セナ。
バスケットのマイケル・ジョーダン。
スキーのアルベルト・トンバ。
陸上のカール・ルイス。
そして、ボクシングの世界では、マイク・タイソンが統一世界ヘビー級チャンピオンに君臨しておりました。
このタイソンと軽やかなステップで《蝶のように舞い、蜂のように刺す》モハメド・アリは別にして、ヘビー級ボクシングには、一般的に重たいぶん動きがのろいという弱点がありました。
それに対して村田諒太選手の活躍でげんざい日本でも注目されているミドル級は、ヘビー級並みの強烈パンチに素早い動き・・・ですから、ボクシングはミドル級が観ていていちばん面白いんじゃないの?・・・こういう声を証明するかのような素晴らしいミドル級の試合が、1987年4月にラスベガスでおこなわれました。
それが、マーベラス・マービン・ハグラー対シュガー・レイ・レナードの《スーパーファイト》です。
スキンヘッドの頭に黒い髭をたくわえた、まるで古代ローマの闘士を思わせるチャンピオン・ハグラーとモハメド・アリの後継者の呼び名通り軽やかなステップと多彩でトリッキーなパンチを繰り出す元ウェルター級世界チャンピオンの挑戦者レナードによる世紀の一戦。
これぞボクシングと呼べる素晴らしい試合でした。
ユーチューブでも観れますので、観たことの無い方はぜひご覧になってみてください。辰吉選手も真似したレナードのグルグルパンチが観れますよ(笑)。
次回に続きます。