阪神タイガースが9年ぶりに日本シリーズ進出。おめでとうございます。昔から「阪神が勝てば景気が良くなる」と言われておりますから、ぜひ日本一になっていただきたいものです。
小渕優子経済産業大臣が辞任か? そもそもなぜこんな人が大臣をやっているのでしょうね? 父親の地盤を引き継いで国会議員になったというだけの、何の能力も実力も無い、ただのお姉ちゃんが。日本は平和だわ。
75歳の病院理事長が散弾銃で30歳妻と無理心中。年の差、何と45歳! お金さえあれば孫と言ってもいいくらいの若い奥さんが貰えるんですね。
くやしいです!(と、ザブングル加藤さんの顔真似をするふじまる君でしたw)。
大好きな日本映画の話の続きです。
その前に角川映画で好きな作品を1本ご紹介するのを忘れておりました。「魔回転生」(1981)です。沢田研二さんが天草四郎時貞を演じ、千葉真一さんが柳生十兵衛を演じた本作を、私はけっこう気に入っています。
ジュリー(沢田研二さんの愛称)は、この当時、日本一のイケメンでして、現在のキムタクやマツジュンみたいな存在でした。
千葉真一さんと言えば、角川映画の記事でちょこっと言及した「戦国自衛隊」(1979)のラスト、設定上は妙蓮寺とされている古い藁葺き屋根のお寺で他の自衛隊共々殺されるのですけど、その後お寺は燃やされます。
大丈夫なんでしょうね? あれはセットだったんでしょうね? たかが映画のために貴重な文化財を本当に燃やしたわけじゃないんでしょうね?
あまりにもお寺が本物っぽかったので、それがずっと気にかかっているんですよ、私は。
さて、ここ30年間で最も才能のあった邦画監督といえば、前回ご紹介した伊丹十三監督の他に、ビートたけしこと北野武監督がおります。
様々なタレントや文化人らが映画監督にチャレンジしておりますけど、本当に才能があったのは伊丹さんとたけしさんだけでしたね。この二人は、みずみずしい感性に溢れた、作家性の強い、素晴らしい日本映画の傑作を生み出してくれました。
たけしさんの作品をぜんぶ観たわけではないのですが、観た中で私が一番好きな作品は、「3-4×10月」(1990)です。
これもたけしさんお得意のバイオレンス映画のジャンルに入るのでしょうけど、伊丹十三監督の傑作「タンポポ」(1985)的なシュールさがあって、同じ題材を扱った「ソナチネ」(1993)よりも遥かに良い出来栄えでした。
元ボクシング世界チャンピオンの渡嘉敷勝男さんが、いい味を出していました。「HANA-BI」(1998)の薬師寺保栄さんもそうですが、ボクサーだった方を上手に使いますね、たけしさんは。
他には、サザンオールスターズの桑田佳祐さんが監督した映画「稲村ジェーン」(1990)を「あんなものサーフィン映画じゃない」と批判して(まったくおっしゃる通りなのですけど)作った「あの夏、いちばん静かな海」(1991)や、落ちこぼれ高校生ふたりの夢と挫折を描いた「キッズリターン」(1996)が良かったです。
現在、青春映画を撮らせたら、たけしさんがピカ一ですね。
バイオレンス系の作品では「BROTHER」(2001)が素晴らしかったです。加藤雅也さん、寺島進さん、大杉漣さん・・・出演者たちの演技もお見事でした。
タランティーノ監督の「レザボア・ドッグス」(1992)や「パルプ・フィクション」(1994)と並ぶ傑作だと思います、これは(タランティーノとたけしさんには血脈を感じます)。
最近の「アウトレイジ」(2010)や「アウトレイジ・ビヨンド」(2012)もとても面白いのですけど、たけしさん独特の遊び心いっぱいな若々しい感性が薄れ、普通のヤクザ映画化しつつある点が、いささか残念です。
そういえば先日たけしさんも出演したテレビのバラエティ番組で、今年映画を初監督した劇団ひとりさんが映画評論家を貶して「自分では映画を作れないくせに偉そうなこと言うな」みたいな発言をすると、共演していた土田晃之さんも「テレビの野球解説者は元プロ野球選手ばかりなのに、なぜ俺たちが舞台に立って漫才をしたことも無い演芸評論家と称する連中に評論されなければならないんだ」という趣旨の事をおっしゃっておりました。こんなふうに考える人は案外多いのかもしれません。
劇団ひとりさんや土田さんが評論家のレベルが低いとおっしゃるのはいいですけど、評論家という存在は不要だとおっしゃるのなら、それは違うと私は思います。
だって、そんな事言い出したら、たけしさんの「TVタックル」等に出演していた政治評論家の三宅久之さんは政治家だった経験が無いため政治を語る資格が無かったということになり、デーモン小暮閣下がテレビで相撲の解説をするのもダメということになるじゃないですか。確かにテレビやラジオのプロ野球中継では元プロ野球選手の方が解説なさっていますけど、スポーツ新聞等ではプロ野球選手だったことのない普通の記者が試合の評論をしていますよね。これもダメなんでしょうか?
そもそも漫才も映画も専門家に観てもらうためのものではなく、素人である一般人に観てもらうためのものなのですから、「素人が批評すんな」と言うのは本末転倒です。
また、こんなふうに評論家を牽制する人には「俺の作品を批判するな。黙って良いと認めろ。そのまま受け入れろ」という弱い心が潜んでいるように思います。誰だって自分の作品を褒めてもらいたいし、貶されたくないものですけど、他人に批評される事を避けていたら前進はありません。謙虚な心で他人の批評に耳を傾け、次の作品をより良いものにしていただきたいものです。
先程「現在、青春映画を撮らせたら、たけしさんがピカ一」と書きましたけど、私が中学生の頃はショーケンこと萩原健一さんがピカ一でした。
そのショーケンが大人気テレビドラマ「太陽にほえろ!」降板後、神代辰巳監督との名コンビで作った青春映画が「青春の蹉跌」(1974)です。ものすごく優れた作品というわけではありませんけど、中学生時代に北海道北見市の映画館で観た、私には懐かしい作品です。
石川達三原作の本作は、エリートコースを進む青年が出世の邪魔になった女を殺すという、エリザベス・テイラーが最も美しかった映画「陽のあたる場所」(1949)の日本版と呼べる作品でした。
その出世の邪魔になった女役が桃井かおりさん。
最初観た時は、デブっとしていて、情緒不安定な感じのする、気持ち悪いお姉ちゃんだなぁと思っておりましたけど、この後70年代後半から80年代前半にかけて、秋吉久美子さんと共に時代を象徴する女優となります。
下はショーケンと桃井さんのツーショット写真です。二人が並ぶと雰囲気が出ますね。
桃井さんは、この時期ショーケンとの共演が多く、名作テレビドラマ「傷だらけの天使」でも共演しておりますし、「青春の蹉跌」に続くショーケンと神代監督のタッグ作「アフリカの光」(1975)でも共演しておりました。
「アフリカの光」は、人気絶頂だったショーケンが「真夜中のカーボーイ」(1969)を超える映画を作ろうと挑んだ作品ですけど、とんだ失敗作でしたね。「青春の蹉跌」の方がずっとマシでした。あはは(汗)・・・
青春と言えば、私が高校に入学した頃、大阪にある架空の大学、南河内大学応援団に所属する学生たちを描いた、どおくまん原作の漫画「嗚呼!! 花の応援団」が大ヒットいたしました。
それまでの漫画には無かったエロさ、アナーキーさ、お下劣さ、大阪独特のボケがいっぱい詰まった、たいへんパワフルなこの漫画は、小林よしのり先生の「東大一直線」と共に、たちまち私たち男子のハートをガッチリ掴んだのでした。
主人公・青田赤道が発する「クエックエックエッ」や「ちょんわちょんわ」という奇声や「シビアー」、「役者やのォー」というセリフは流行語になりましたし、関西ではオ○ンコのことを「おめこ」と言うというのも、この漫画で初めて知りました。かんと炊き(おでんのこと)やアルサロ(アルバイトサロン)、1回生(1年生のこと)という言葉も初めて知りましたね。
そして何よりも私に大阪に対する憧れを植え付けてくれたのが、この漫画です。読んでいて大阪弁のセリフが何と心地よかったことか。当ブログの記事「大阪のたこ焼き」に書きました通り、私は大阪大好き人間なのですけど、そのきっかけを作ったのが、この「嗚呼!! 花の応援団」なのでした。
エピソードの中では、青田赤道が会津白虎大学の大虎清正と決闘する話が、特に印象深いです。
どおくまんプロに所属する小池たかし先生の「浪花人生激情」や「怒りの吹田テレビ」も大好きだというのは、当ブログの記事「記憶に残るマンガ」でお話した通りです。
この人気漫画を映画会社が放っておくわけありません。さっそく日活が曽根中生監督で映画化いたしました。
今年の8月にお亡くなりになった曽根中生監督は、当ブログの記事「記憶に残る本(日本文学篇)」でご紹介した坂口安吾原作の「不連続殺人事件」(1977)の監督でもありますけど、何を撮らせても安っぽいB級作品しか生み出せなかった才能ゼロの監督でしたねぇ。
出演者の大半がセリフ棒読みの素人という理由があるにせよ、映画版「嗚呼!! 花の応援団」も、いかにも曽根中生監督らしい実に安っぽく低俗な作品でした。ただし、私はこの作品の安っぽさを、今でも愛しておるのですけどね。あはは。
映画「嗚呼!! 花の応援団」は3作作られまして、その中では井上治之さん(下の写真)が青田赤道を演じた2作目「嗚呼!!花の応援団 役者やのォー」(1976)が気に入っています(井上さんは、現在、大阪で《青田赤道の店》なる鉄板焼き屋さんを経営なさっているそうです)。
ところで、日活映画のため、このシリーズにはロマンポルノのきれいどころが多数出演しているのが、嬉しいところです。
1作目「嗚呼!! 花の応援団」(1976)には「天使のはたわら 赤い教室」(1979)の水原ゆう紀さんが出ています。チョンの間の売春婦役の彼女に恋をした応援団の1回生が、彼女が客を取っているアパートの下で一生懸命エールを送る場面は、思わずジーンと来る名シーンでした。
2作目には色っぽさナンバーワンの宮井えりなさんと
テレビドラマ「子連れ狼」で乞胸お雪を演じた片桐夕子さんが出演していました。
3作目「嗚呼!! 花の応援団 男涙の親衛隊」(1977)には、「不連続殺人事件」にも出演した泉じゅんさんが出ています。ずばりタイプです。
そして、3作すべてに青田赤道憧れの女性役で出演していたのが、宮下順子さんです。着物姿がとてもよくお似合いのしっとりした美人です。
また、2作目3作目に「役者やのォー」のセリフでお馴染みの薬痴寺先輩役で出演していた、なぎらけんいちさんは、まさにハマリ役でしたね。
それから、曽根監督と同じく今年お亡くなりになった龍虎さんが、青田赤道が唯一頭の上がらない剛田先輩役でご出演なさっておりました。
他には応援団幹部・下村役の坂田金太郎さんがいい味を出していらっしゃいました。
また、「異邦人」というグループが歌う本作のテーマ曲が大好きで、時々ユーチューブで聴きます。
曽根中生監督の偉大なるB級映画「嗚呼!! 花の応援団」シリーズ、どこかで観る機会がありましたら、くれぐれも期待はせずに、ご覧になってみてください。
私はむかし駄菓子屋で食べた懐かしい5円の駄菓子のように愛しています、このシリーズを。
1970年代前半の日本は公害問題の高まりなどから人々が未来に対する不安を抱いた時代でした。
そんな時代を象徴する映画が、角川映画の記事でご紹介した「復活の日」(1980)の原作者でもある小松左京原作の「日本沈没」(1973)です。
主演は藤岡弘さんといしだあゆみさん。いしださんのビキニ姿が垂涎ものでした。
可愛かったですよね、若い頃のいしだあゆみさんは。
「日本沈没」の大ヒットを受けて東宝が次に制作したのが、五島勉氏のベストセラー(私も当時買って読んだ)の映画化「ノストラダムスの大予言」(1974)です。
中学生だった私は本作を封切り時に映画館で観ました(同時上映は当ブログの記事「ブルース・リーが大好き」や「セクシーな歌謡曲」でご紹介した「ルパン三世 念力珍作戦」でした)。つまらない作品でしたねぇ。
本作は封印作品になっていて、現在は観れないんですよね。放射能による奇形児のシーンなどがまずいのだとか。ま、わざわざ観るほどの作品ではありませんから、どうでもいいですけどね。
本作のヒロインは由美かおるさんです。
由美かおるさんは、この時期、同じ東宝の「エスパイ」(1974)でもヒロインを演じており、大活躍でした。
「エスパイ」と「日本沈没」の原作者である小松左京先生の超問題作「さよならジュピター」(1984)については、角川映画の記事のところで少し言及いたしました。
あの時お話いたしました三浦友和さんの無重力SEXシーンがこれです。
偉大なる小松左京先生を借金地獄に追い込んだ迷作「さよならジュピター」、機会がありましたら、ぜひ一度ご覧になってみてくださいね。「幻の湖」(1982)同様、あまりの内容に全身の力が抜けますよ。なはははは・・・
以前、三國連太郎さんの追悼記事で一度ご紹介した「八甲田山」(1977)が、私は大好きです。高倉健さんと北大路欣也さんの規律正しい軍人ぶりが何とも素敵で。
また、本作で案内人役を演じた秋吉久美子さんがものすごく素晴らしかったのは、当ブログの記事「NHK大河ドラマ彩る女優たち2」でお話した通りです。
最後はちょいと古い映画のお話を・・・
阪東妻三郎主演の「無法松の一生」(1943)です(私はこの作品を大学生のとき高田馬場にあったACTミニシアターで観ました。この小さい映画館は懐かし)
ある事件がきっかけで陸軍大尉と親しくなった九州は小倉の車引きで、無法松と恐れられる暴れん坊の松五郎が、大尉の死後、その未亡人への恋心を胸の内に秘めながら、大尉のひとり息子・敏雄(演じるのは後の長門裕之さん)の父親がわりになるというお話です。
成長するにつれ自分を「ぼんぼん」と呼ぶ松五郎を煙たがる敏雄。旧制中学に入った敏雄は他校の生徒との喧嘩に駆り出される。敏雄も喧嘩する若い衆になったかと目を細めて喜ぶ松五郎。両校の生徒が入り乱れる大乱闘を木の影からこっそり見物していた松五郎の前で、ひ弱な敏雄は逃げようとする。それを見た松五郎は
「ぼんぼん、なぜ逃げるんや? ええか、よく見ちょれ。喧嘩ってのはこうするんや!」
そう言うなり、目の前にいた大男を一発でノックダウンさせ、そのまま大暴れ・・・
阪妻(阪東妻三郎の愛称)の魅力爆発の名シーンです。
阪妻は、元々は「雄呂血」(1925)など無声映画の剣劇スターだったのでしょうが、本作で見せた頼もしくて愛嬌のある人間味溢れる父親像こそが、最も彼の資質に合った役柄だと思います。
とにかくスクリーンから伝わってくる阪妻の人間的魅力がすごいのよ。伊藤大輔監督は1958年に本作を三船敏郎主演でリメイクしておりますけど、あの三船敏郎でさえも阪妻の魅力には遠く及びませんでしたね。
祇園太鼓を叩く阪妻の姿、素敵すぎます。
ちなみに阪妻の実子が、田村高廣さん、田村正和さん、田村亮さんです。
阪妻の作品では他に、大阪の将棋指し阪田三吉を演じた「王将」(1948)や
大井川の渡し人足・寅八が、狐退治に行った際に拾った赤ん坊・善太(演じるのは後の津川雅彦さん)の父親になって育てるという、「無法松の一生」と同じテイストの作品「狐が呉れた赤ん坊」(1945)が良かったです。
泣いたなぁ、「狐が呉れた赤ん坊」のラストシーンには。
本当に魅力的な、誰もが惚れる男でした、阪妻は。
ぜひ一度ご覧になってみてください、阪東妻三郎主演のこれらの作品を。
阪妻の人間的魅力にメロメロになりますよ。