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ジェームズ・ディーン

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 今週も変な天気でしたね。北海道は大雨でしたし。
 こちら群馬でも、火曜日か水曜日か忘れましたけど、朝方ドカーンというもの凄い音がして「すわ、北朝鮮のミサイル襲来か?」と慌ててはね起きましたところ、これがカミナリなんですよね。でも、カミナリって大きなのが来る前にゴロゴロという予兆があるものじゃないですか。そういうのが無くていきなりドカーンですもの。いよいよおへそが盗られるのかと、おっかなかったです(笑)。
 
 テレビで放送された「エヴァンゲリヲン新劇場版:Q」(2012)を観たのですけど、何でしょうね、これは。どんどん意味不明になっていくんですけど。
 大概の作品がそうですけど、エヴァも最初のテレビ放映版がいちばん面白かったですね。続編が出るたびに変てこりんになっていく・・・
 
 水原希子さんが出ているスズキワゴンRスティングレーのCMがカッコいいですね。バックに流れる曲は「ウッドストック」の記事の中でご紹介したジャニス・ジョプリンの「Move Over」。しびれます。
 
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 リチャード・キールさんがお亡くなりになりました。
 私の世代にとっては「007 私を愛したスパイ」(1977)と「007 ムーンレイカー」(1979)のジョーズ役でお馴染みの俳優さんです。ジャッキー・チェンと一緒に「キャノンボール2」(1984)にも出演なさっていましたね。
 大好きな俳優さんでした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 
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 しかしながら、今週もっとも注目を集めたニュースは、何といっても錦織圭選手の全米オープン決勝進出でしたね。
 残念ながら決勝戦では敗れてしまいましたけど、テニスの4大大会(グランドスラム)の決勝に日本人選手が残るなんて、快挙もいいとこです。
 それにしても、錦織選手と共に名前の挙がった世界のトップ選手たち・・・ジョゴビッチ、ツォンガ、フェデラー、マレー、チリッチ・・・みなさん有名な方たちばかりなんでしょうけど、私はまったく知りませんでした・・・私にとってテニス選手といえば、今でもボルグとマッケンローですからね・・・我ながら古いなぁ・・・あはは(汗)・・・
 
 いずれにせよ錦織選手がこれから野球のイチロー選手のように世界的なスーパースター選手になることを期待するばかりです。
 ところで、そのイチロー選手ですけど、かねてから彼を見るたびに風貌がジェームズ・ディーンに似ていると私は思っておりました。
 ということで、いささか強引ですけど(汗)、今回はジェームズ・ディーン主演の映画をご紹介したいと思います。
 
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 24歳で事故死したジェームズ・ディーンのまともな出演作は3本しかありません。
 まずは「理由なき反抗」(1955)です。
 
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 ジミー(ジェームズ・ディーンの愛称)は街の不良少年を演じます。大きな瓶に入った牛乳をごくごく飲むシーンが印象的でした。
 相手役は「ウエストサイド物語」(1961)のナタリー・ウッド。彼女は「刑事コロンボ」の記事でご紹介した「グレート・レース」(1965)にも出ていました。きれいなお姉さんですね。
 
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 次に「エデンの東」(1955)。
 
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 原作はジョン・スタインベック。私のブログでは小説「怒りの葡萄」と「朝めし」をご紹介したアメリカの文豪です。
 しかしながら、この映画を観たあとスタインベックの原作を読むと(ん?)という気持ちになりますよ。なぜなら原作は映画の中でジョー・ヴァン・フリートが演じた主人公の母親ケイト(原作ではキャシー)の話が大半を占めるからです。
 
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 この母親(キャシー)の部分から原作をちゃんと描いたのが、「ジョニーは戦場へ行った」(1971)のティシモー・ボトムズ主演のテレビドラマ「エデンの東」(1981)です。
 
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 キャシーを演じたのは、私が愛して止まない映画「ある日どこかで」(1980)のジェーン・シーモアでした。
 
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 好きだわぁ、ジェーン・シーモア。このドラマを私は観ていないのですけど、観てみたいです、ジェーンが出ているのなら。うっとりするほど美しいですものね、ジェーンは。大好きです。
 
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 映画の方に話を戻しますね。
 ジミーは父親の愛に飢えたナイーヴな青年を演じます。
 
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 ジミーが列車の屋根に無断乗車し、母親のいる町へ行くシーンが印象的でした。
 
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 また、レナード・ローゼンマン作曲のテーマ曲が秀逸です。歴代映画音楽中、最高の1曲と評価する人が多い美しい名曲です。ぜひヴィクター・ヤング・オーケストラ版で聴いてみてくださいね、ユーチューブにアップされていますから。
 
 本作の欠点はヒロインを演じたジュリー・ハリスでしょうね。だってあまり可愛くないんですもの。彼女は当ブログの記事「シャーリイ・ジャクスンのくじ」でご紹介した「たたり」(1963)の女霊媒師役が適役でしたね。
 
 そして、ジミー最後の出演作が「ジァイアンツ」(1956)です。
 
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 これは、テキサスの大牧場主が、新しい時代の波に翻弄されながらも、誇り高く生きてゆく物語です。
 原作者はエドナ・ファーバー。彼女は1931年と1960年に映画化された「シマロン」の原作者でもあります。このうち1931年度版で主役を演じたのは「ママの思い出」(1948)のアイリーン・ダンでした。
 「シマロン」も名作です。ぜひご覧になってみてください。
 
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 監督は、その「ママの思い出」や「シェーン」(1953)で有名な巨匠ジョージ・スティーヴンスです。
 
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 主人公の牧場主を演じるのは、ロック・ハドソン。
 
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 甘いマスクとマッチョな肉体が売りの、日本でいえば小林旭的な、昔風のハリウッド二枚目俳優です。
 彼の出演作では、他にドイツ軍の要塞を破壊するイギリス兵を描いた「トブルク戦線」(1967)が面白かったです。
 
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 ジーナ・ロロブリジーダと共演した「9月になれば」(1961)という楽しい作品もありましたね。ロロ(ジーナ・ロロブリジーダの愛称)も大好きです。
 
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 それにしても、本作で男の中の男を演じたハドソンが実はホモ太郎侍で、最後はエイズでお亡くなりになるとは・・・世の中わからんもんですなぁ・・・しみじみ・・・
 
 ハドソンのところへ嫁に来た東部の名門一族の娘を演じたのが、エリザベス・テイラー。この当時のリズ(エリザベス・テイラーの愛称)はホントきれいでした。
 
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 リズの出演作で最も有名なのが「クレオパトラ」(1963)です。
 この「クレオパトラ」は、20世紀フォックス社を倒産の危機に追い込んだ《映画史上空前の失敗作》として有名ですけど、そんなに悪い映画でしょうか? 私はそれほど悪い作品だと思わないのですけどね。シーザー役のレックス・ハリソンに風格があって素敵でしたしね。
 
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 そして、人妻リズに密かに想いを寄せているひねくれ者の牧童ジェット・リンクを演じるのが、我等がジミーです。
 
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 ハドソンの姉から遺言で僅かな土地を譲り受けたジミー。ところが、その土地から石油が出たから、さあ大変。次第に衰退していくハドソンとは逆にジミーは栄華を極めてゆく。しかし・・・というのが、おおまかなストーリーです。
 
 他の出演者では、メキシコ人女性と結婚するハドソンの息子を演じたのが、「イージー・ライダー」(1969)のデニス・ホッパー。この頃は真面目な若手俳優でした(苦笑)。
 
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 ハドソンの娘を演じたのが、キャロル・ベイカー。特に美人だと私は思わないのですけど、このヤフーブログには彼女の熱狂的なファンがいるみたいです(微笑)。
 
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 ジミーはスピード狂でした。下の写真はジミーが愛車ポルシェ・スピードスターを洗車しているところです。
 
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 そして、本作の撮影中、ジミーはポルシェ・550スパイダーで事故死します。自身が出場するレース会場へ行く途中の事故でした。
 
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 しかしながら、ブルース・リー同様、若くして死んだことによりジミーは伝説の人となります。
 三島由紀夫はジミーを「夭折の資格に生きた男」と呼びました。
 
 そんなジミーの魅力・・・それは新しさだと思います。だって、ロック・ハドソンを見ると、いかにも昔の二枚目だなと思いますけど、ジミーをいま見てもそれほど古さを感じませんものね。存在が新しいんですよね、ジミーは。
 伝説となる人物は必ず新しい何かをもたらします。当時の若者は、まだ潜在的であったかもしれませんけど、確実に顕在化しつつあった新しい時代の青年像を先取りして示してくれたジミーに熱狂したのです。
 
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 また、三島由紀夫は「不道徳教育講座」の中で、ジミーに関する次のような逸話を紹介しております。
 
 ・・・一体、見かけはヤクザっぽく、目つきもすごく、ひねくれているけど、内心は純情、気がやさしく、非常に心持ちがきれい・・・というような流行の青年像は、どこから出て来たのかと考えてみるに、結局「エデンの東」のジェームズ・ディーンに帰着するようである。こういうタイプは、女性の中の母親性を無類に刺激するらしく、映画評論家のK・K女史(※注・たぶん小森和子さん)のごときは、ディーンの死をきいてさめざめと泣き、ごはんもノドをとおらず、ディーンの一周忌にはJ・Dと頭文字を焼き込んだ葬式饅頭を知友に配り、私をつかまえては
「あなた、ニューヨークで、ディーンのよく行くレストランで、ディーンのいつも坐っていた席でごはんをたべてたって言ってたけど、そのときあなた、どんなズボンはいてた?」
 と訊くから
「さァ忘れちゃった」
 と答えると、
「そのとき穿いてたズボンを私に頂戴。ディーンの坐ってた場所に坐ったズボンを」
 と、おどろくべき要求を出し、つい先だって、ついにディーンの墓参のためアメリカへ旅立ちました・・・
 
 それでは最後にジェームズ・ディーンについてジャン・コクトーが書いた文章(梁木靖弘訳)を引用して、本日はおしまいにしたいと思います。
 
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 ・・・不服従は青春最高の贅沢だと考えられよう。だから、あまりに青春が自由すぎて、不服従が不可能であるという時代ほど悪いものはない。ジェームズ・ディーンは、私の眼には、習慣に対する不服従の一種の大天使と映る。そして彼の最高に美しい不服従の行為とは、約束された栄光に対して彼の死がつきつけた恐るべき拒絶のことではないか? 彼はいわば教師たちに舌を出して、教室の窓から逃げ出す小学生のように、この世から出ていった・・・
 ・・・ひとつの幻覚・・・一睡の夢・・・ひとりの若者、彼はあまりに速くつっ切ったので、進路の途中のメカニズムをひとつとして汚さない・・・これがジェームズ・ディーンであり、この故に多くの若者たちが、彼を大理石の彫刻より堅い雪像に仕立てあげたのだ・・・

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