雨ですね。台風が近づいているのでしょうか? 雨が降ると御嶽山での捜索が遅れます。早く全員が見つかるといいですね。
訪問履歴に知らない名前があると、どういう人が読んでくれているんだろうと思って時々クリックするのですけど、「まだ記事がありません」というのが、けっこう多いんですよ。こういう人たちはブログを開設するだけで記事を書く気が無いのでしょうか? 私にはさっぱり理解不能なのですけど。
さて、外は雨ですし、読書の秋でもありますから、今回は記憶に残る本のお話の続き、「その他諸々篇」をお送りいたします。
気になった本がありましたら、ぜひ読んでみてくださいね。
三島由紀夫じゃないですけど、私も自分の貧弱な肉体にコンプレックスを持った時期がありまして、いっぱつ筋骨隆々の逞しいボディになってやろうじゃないかと奮起し、バーベルやダンベルを買い込み(池袋西武デパートのスポーツ用品コーナーでいちばん高い品物を買った)自宅でトレーニングに励んだことがあります。
そのときトレーニングの教科書にしたのが、チャック・ウィルソン氏の「トレーニング・バイブル」という本でした。これはとてもいい本です。
また《ボディビル界の百恵ちゃん》西脇美智子さんの「ボディビル・マジック」という本も愛読しておりました。
西脇さんは当時タレントとしても活躍し、数々のテレビドラマや日活ロマンポルノ映画、さらにはジャッキー・チェン主演の映画「大福星」(1985)にもご出演なさいました。
残念ながら体調を壊してトレーニングをやめた私はチャックさんや西脇さんのようなスペシャルな体型にはなれませんでしたけど(それでも当時は女の子の前で裸になると、「あら、水泳でもやってたの?」と驚かれる程度にはなっていた)、バーベルやダンベルは腐る物ではないので、今も私の部屋に残っております。ベンチプレス用の台なんかも・・・一生残るんでしょうね、こういう物は・・・また、トレーニングを再開しようかしら・・・最近お腹が出てきたことだし・・・あはは(汗)・・・
当ブログの記事「30年前の現代思想」に書きました通り、1980年代初頭はニューウェーブな論客たちが多数登場した時代でして(現東京都知事の舛添要一氏もこの時期に登場した)、その中で私が最も好きだったのが、呉智英(くれともふさ、ごちえいと読んでも可)さんです。
呉さんの「封建主義その論理と情熱」や「インテリ大戦争」、「読書家の新技術」という著書を、大学時代、私は愛読いたしました。現在活躍中の評論家・宮崎哲弥氏も、呉さんの大ファンだそうです。
呉さんの特徴は、自ら《インテリ》と名乗る膨大な博識で、似非知識人どもをコテンパンにやっつけるところにあるのですけど、そのやっつけ方が相手をおちょくる感じで、それが呉さんの巧みな文章と相まって、とっても痛快なのです。
たとえば、校内暴力を無くすため教科書からデモや一揆の記述を無くし、代わりに水戸黄門や間宮林蔵の記述を載せろ、という高千穂商科大学助教授・名越二荒之助の意見を
・・・のみならず、間宮林蔵の反社会的性格は、渡辺崋山の『全楽堂日録』によれば(名越センセ、読んでるか、どうじゃ、ウリャウリャ)、はなはだしい変人、生まれついてのワガママ者で・・・
と、こんなふうに批判します。ね、痛快でしょう?
同じく当ブログの記事「30年前の現代思想」で取り上げた吉本隆明氏の「書物の解体学」も大好きな本です。
特にヘンリー・ミラーについて書かれた文章が印象に残りました。
・・・やがて、「私のいとこのジーンは、全然くだらない人間になってしまったし、スタンリーは最低の落伍者になった。かって私の最大の親友であったこの二人のほか、もう一人の友人ジョイは、いま郵便配達人になっている。私は、なにが彼らの人生をそんなものにしたかを考えると、泣けてくるのである。子供のころの彼らは実に立派だった・・・」(南回帰線)。そうだ、「なにが彼らの人生を」だ。それを知っていることが、ミラーの深い井戸であった・・・
また、吉本さんが引用する、ミラー『わが読書』(田中西二郎訳)の中の一文。
・・・この書(『青二才のジャン』)の終わりに近く、父親の死が近づいた頃、親子はリンデンの樹の下で静かに語り合う。「わしが誤りを冒したのは」と、父が言う。「わしが親切な、人のためになる人間になりたいと思うたときであった。お前も、わしのように誤りを冒すじゃろう」悲痛な言葉である。あまりにも本当すぎる言葉だ。ここを読んだとき、ぼくは泣いた。ジオノのお父さんの言葉を思いだして、ぼくは再び泣く。ぼくはジオノのため、ぼく自身のため、《親切に》《人のために》なろうとして努力してきたすべての人のために泣く。心のうちでは《誤り》であることを知りながら、いまなお努力している人々のために・・・
呉智英と同じように、似非知識人や似非科学者どもをおちょくりながら撃退するのが、と学会の「トンデモ本の世界」シリーズです。
私はこのシリーズからたくさんの事を学ばさせていただいております。
《フィクションなら許されるか?》というタイトルで、門田泰明氏のトンデモ小説「黒豹スペース・コンバット」(トンデモな内容でありながらも大ベストセラー)を解説した文章が、特に面白かったです。
・・・そもそも、「黒豹」とは何か?
これは特命武装検事・黒木豹介(すごい名前!)のニックネームである。検事といっても法定に立ったりはしない。国内はもちろん世界各地を飛び回り、日本の平和を乱す敵をぶち殺しまくる。愛用の拳銃はベレッタM92。専用の戦闘ヘリ・ヒューイコブラ(なんと座席が横に並んでいる!)まで持っている・・・
また、「黒豹スペース・コンバット」には、宇宙空間で登場人物たちが火の粉をまき散らしながら飛ぶ流星に危うくぶつかりそうになるシーンがあるのですけど、登場人物の一人が、ふうっと大きな溜息をつきながら、「凄いですねえ、宇宙は」と言う記述に対して
・・・あのなあ! 「凄いですねえ」じゃねえよ!
言うまでもないが、流星は地球の大気圏に入ってはじめて、空気との摩擦で燃えるのである・・・
私は歴史の話、特に古代史の話が好きなのですけど、関裕二氏の「聖徳太子は蘇我入鹿だった」に始まる多数の著書には、大いに刺激をうけました。
ただし、このブログにも書きました通り、私は古田武彦先生の説に共鳴する者ですから、関さんの御説には必ずしも賛成はいたしませんけどね。あはは。
しかしながら、ものすごく古代史の勉強になりますし、また文章が平易で読みやすい。日本の古代史に興味がある方には、入門書としておススメです。
歴史のお話ならこのシリーズを忘れるわけにはまいりません。井沢元彦氏の「逆説の日本史」シリーズ。私の愛読書です。
古代篇のところでは日本人の心に巣食う怨霊信仰、言霊信仰がクローズアップされましたけど、近世篇に入ると(それと最近出版された「逆説の世界史」では)朱子学の弊害についての記述に、多くのページが費やされています。
家柄や身分に関係なく実力ある者をどんどん登用した織田信長。しかし、その信長は、自分が取り立てた明智光秀に殺されてしまう。
その二の舞いになりたくない家康は、自分の幕府を作るにあたり、大名を譜代と外様に分け、外様大名には国の政策に一切タッチさせないようにし、学問としては主君に対する忠義を重視する朱子学を奨励した。これで大名の謀反を防げると家康は考えました。
ところが、幕末になると、日本の主君は天皇であり、徳川家は真の主君ではないという考えが広まり、結果的に朱子学によって徳川幕府が滅ぼされる事になるのですから、歴史は皮肉です。
その朱子学の弊害その1。商業の蔑視。
A地点で100円で買った物をB地点へ運び150円で売り、その差額を利益にするのが商業ですが、朱子学ではそんな商業を同じ物を知らん顔をして高い値段で売る詐欺みたいなものだと軽蔑します。
江戸時代の身分が「士農工商」と商人がいちばん下なのは、この朱子学の影響でした。
もちろん西洋にも商業や金融を蔑視する考えはあって、そういう皆から軽蔑される仕事を主にユダヤ人がおこなっていたので(社会から差別されていた彼らにはそれしか生きる道が無かった)、シェイクスピアの「ベニスの商人」のシャイロックのような人物が創造されたわけですけど、プロテスタントが商業を価値のある行為と認めて以降、西洋では商業に対する偏見は無くなりました。
幕末の3大改革というと、何となく私たちは、傾きかけた徳川幕府を建て直すべく、《暴れん坊将軍》徳川吉宗や松平定信が頑張ったと思いがちですけど、その実は朱子学で頭がゴリゴリに固まった吉宗や定信が、商業活動を制限し質素倹約を無理強いしたせいで、社会が深刻なデフレに陥り、徳川幕府の寿命を縮めただけなのでした。
ですから、本当はケインズ的な積極経済政策を推し進め、幕府の財政を立て直そうとした田沼意次の方が正しかったのですけど、朱子学が支配する世界では意次は失脚し、長いあいだ悪者扱いにされたのです(現在では意次の評価は極めて高い)。
この商業を蔑視し農業を最重要視する考えは現代にも生きておりまして、毛沢東による文化大革命時代、中国では多くの知識人が強制的に農村へ送られて農作業に従事させられましたし、カンボジアではポル・ポト政権による徹底的な知識人弾圧+農業重視政策が採られました。
朱子学の弊害その2。極端な「孝」の重視。
主君に対する「忠」と親に対する「孝」、これらを重視するのが朱子学ですが、この2つのうち「孝」の方がより重視されます。
ですから、たとえば国の存亡をかけた戦争中であっても、指揮官のもとへ故郷の親が病気だという知らせが届けば、その指揮官は戦争をおっ放り出してでも故郷へ帰るのが正しい行動なのです、朱子学の精神からは。
また、年老いた両親と妻と幼い子供を抱えた貧しい男がいたとして、誰かを殺して食い扶持を減らさなければ全員が餓死するとしたら、朱子学の精神からは老い先短い親ではなく、幼いわが子を殺すのが正しいのです。
このような朱子学が身に染みついておりますと、先祖の決めた教えに逆らうのが難しくなります。先祖は親の倍数だからです。
アヘン戦争で中国がイギリスにあっけなく敗れた原因も、昔からのやり方に固執して西洋の新しい技術や兵器を取り入れようとしなかった為です。その点、日本は朱子学の影響が少なかったせいか、はたまた坂本龍馬や高杉晋作らが偉かったせいか、臨機応変に西洋の進んだ技術を取り入れ、西洋列強諸国の植民地にならずに済みました。
また、朱子学の支配する世界では、公の意識が育ちにくくなります。国よりも親や親族を第一に考えるのでは、そうなりますわな。
韓国大統領が退任後、必ずと言っていいほど親族による汚職で摘発されるのは、このためです。
また、食品を偽装し、大気を汚染する中国の企業や人々。これらも公の意識の欠如が原因です。他人に迷惑をかけてもとにかく金を稼ぎ、お金持ちになったら一族で国を捨て海外へ移住する、というのが奴らの腹なのです。
井沢さんの本を読むと、こんなふうに朱子学がいかにアジア諸国に悪影響を及ぼしたかが、よく分かります。ぜひご一読を。
また、さきほど毛沢東の文化大革命について少し言及いたしましたけど、その愚かさを知るのにはユン・チアンの小説「ワイルド・スワン」が最適です。こちらも必読ですよ。
10冊ばかり本をご紹介しようと思っておりましたところ、疲れちゃったので、今日はこれくらいにしておきます。
続きは次回ということで。よろしくです♪