この2、3日はそうでもありませんけど、先週の初めは暑かったですね。熱帯夜が続いて、早くも私は夏バテしてしまいました。すいません、体が弱いもので。あはは。
さて、このところ私が入り浸っているブログがあります。
それは《むかし語り》さんの「むかし語りのブログ」です。
《むかし語り》さんの旦那さまは、現在はもう引退なさっているそうなんですけど、昔はシナリオライターや映画制作者として活躍し、その関係で生前の三島由紀夫や寺山修司、石原裕次郎、深作欣二監督らとも面識があったそうです。そして、あの「傷だらけの天使」や「あぶない刑事」の製作にも携わっていたんですって。
ドッヒャー! ショーケン(萩原健一)主演の「傷だらけの天使」なんか、私の時代のバイブルみたいなドラマですよ。みんな観て、みんな憧れていましたものね。その「傷だらけの天使」の裏話が聞けるなんて! しかも、旦那さまはショーケンの出た学校の1年後輩で、ショーケンとは学生時代からの付き合いなんですって。
(※訂正:下のコメント欄を読んでいただければ分かりますように、御本人さんからの訂正が入りました。学校は別だったそうです。私の勘違いでした。すいません)
こんなに興味深いブログなのに、今のところ訪れる人は少なく、コメントを書いているのは、ほぼ私ひとり。これはもったいない話です。
私のブログを読んでくださっている方なら、《むかし語り》さんのブログにも必ず興味があるはずです。ぜひいちど訪問して、「松田優作って、どういう人だったんですか?」とか「あぶない刑事のあのシーンはどういう状況で撮影したんですか?」などの質問コメントを残してあげてください。律儀な旦那さまが、ちゃんと返事のコメントを返してくださいますよ。あはは。
・・・ということで、前フリはこれくらいにして、今日の本題に入りたいと思います。今回は少女マンガのお話です。山岸凉子さんの名作マンガ「日出処の天子」を取り上げます。
以前、当ブログの記事「記憶に残るマンガ2」において、ダーティ・松本の作品を取り上げた際、ダー先生(我々ファンはダーティ・松本をこう呼ぶ)の「エロ魂!」(オークラ出版)という自伝的著書をご紹介いたしました。この本の中にこんなエピソードが載っております。
ダー先生のエロマンガ家仲間である中島史雄氏が、デビューしたての頃、奥さんと二人で貧乏アパートの2階に住んでいたところ、1階にも女性マンガ家が住んでいて、彼女がゴミの日にたくさん出すマンガ雑誌を中島氏の奥さんはこっそり頂戴して読んでいたそうです。
で、ある日、中島宅へ遊びに来ていた霊感の強い友人が、ちらりと1階の女性マンガ家を見たところ、何やら感じるものがあったらしく
「あの人、怖い・・・」
その女性マンガ家というのが、売れる前の山岸凉子さんでした。
このエピソードはともかく、山岸さんの作品からは、非常に神経質な、霊的とも呼べる特殊な感性を感じますよね。また、それを表現する山岸さんの画が、ビアズリーにも似た細く繊細な線なんですよね。
そんな霊感豊かな山岸さんの代表作が、今回の「日出処の天子」なのです。
このタイトルは、聖徳太子が隋の煬帝に送ったとされる国書の中の有名な1文
日出処の天子、書を日没処の天子に致す、恙無しや
から取っています。このタイトルからも分かる通り、本作は飛鳥時代を舞台にした物語です。
飛鳥時代ですよ。西暦でいえば6世紀から7世紀。日本初の女帝・推古天皇や、その摂政となった聖徳太子、遣隋使の小野妹子などが活躍した時代です。
日本の古代史の世界を舞台にした少女マンガなんて、それまで存在しませんでしたので、これは画期的な作品でした。こんなこと山岸さんにしか出来ません。
ちなみに神田うのさんというタレントがいらっしゃいますでしょう? 彼女の名前「うの」は、推古天皇と同じ女性天皇である持統天皇の諱(いみな)「うののさらら」からお付けになったそうです。
物語の主人公は、当時の実質的な権力者である蘇我馬子(そがのうまこ)の長男、蘇我蝦夷(そがのえみし。毛人とも書く)。蝦夷の息子が、大化の改新の時(645年)に、中大兄皇子と中臣鎌足に殺される蘇我入鹿(そがのいるか)です。
馬子や入鹿に比べて存在感の薄い蝦夷を主人公にしたところが、山岸さんのユニークなところです。
そして、蝦夷の友人が聖徳太子(厩戸皇子)。
この太子は、女性と見紛うほどの美少年であり、まるで超能力者であるかのように描かれています。そして、蝦夷とホモセクシャルな関係にあるかのようにも・・・このあたり、後のBLマンガを先取りしていたんですかね。
「古田武彦の九州王朝説」という記事にも書きましたけど、父親の影響で日本の古代史には私もただならぬ関心があり、聖徳太子は古代史の謎を解くキーマンだと思っております。
大阪に住んでいた頃は、太子ゆかりのお寺を回りました。法隆寺、四天王寺、橘寺・・・兵庫県太子町にある斑鳩寺や加古川の鶴林寺へも行きましたね。
聖徳太子のお墓はどこにあるか知っていますか? 法隆寺にあるのではないんですよ。大阪府太子町にある叡福寺(えいふくじ)内の北古墳(下の写真)が、太子のお墓(とされている)なのです。
叡福寺は《上の太子》と呼ばれていますが、他にも《中の太子》と呼ばれる野中寺、《下の太子》と呼ばれる大聖勝軍寺(だいせいしょうぐんじ)がありまして、大聖勝軍寺の敷地内には蘇我・物部戦争のとき太子(厩戸皇子)が身を隠したとされる椋(むく)の木が植えてあり、木の割れ目の間に可愛らしい厩戸皇子の木像が置かれています。
実は私も蘇我蝦夷を主人公にした小説を書いているんですよ。あはは・・・
別に山岸さんの真似をしたわけではないんですよ。「父と息子」をテーマにすることが多い私の小説では(え? そんなこと誰も知らないよ、ですって? ぐすん)、偉大な父・馬子と、出来の悪い息子・蝦夷という構図が利用しやすかったのです。
私の小説では、蝦夷と太子と阿倍内麻呂が小学校(そんなものがあったとして)の同級生で、蘇我・物部戦争の後、3人で九州まで冒険旅行へ出かけ、その途中で四国の道後温泉に寄ったりするのですが、やがて大人になるにつれ、3人はそれぞれの立場から敵対しなければならなくなり、最後は太子の息子である山背大兄皇子を殺し上宮家を滅ぼした蝦夷の息子・入鹿を、太子の教え子である鎌足が暗殺し(入鹿と鎌足と山背大兄皇子もまた同級生という設定になっております、私の小説では)、その結果、蘇我家も滅亡し、最終的には阿倍家だけが残るという結末となります。
この私の小説(題名は未定ですが)を、また性懲りも無くどこかの新人賞へ応募しようと思ったところ、原稿用紙に換算すると千枚もの量になるので、どこの新人賞の応募規定にも合致せず、またまたお蔵入りとなってしまいました。とほほ・・・
応募出来たとしても、どうせまたいつもの通りまったく相手にされないんでしょうけどね・・・ぐすん・・・あーあ、NHK大河ドラマの原作にピッタリなんだけどなぁ・・・ぐすぐす・・・えーん、世の中、まちがっとるう(涙)・・・
・・・話を山岸凉子さんの「日出処の天子」に戻しますけど、この作品は古代史の勉強にもなる、極めて質の高い少女マンガです。
歴史小説を読むようなつもりで、はたまた純文学小説を読むようなつもりで、本作を鑑賞してください。