Wカップサッカー・ブラジル大会。日本はコロンビアに、それもチームの2軍に完敗し、グループリーグを敗退しちゃいましたね。
今回このような結果になった原因は、素人ながらに私が思うところでは、前回の南アフリカ大会のメンバーをそのままメインに据えたことです。すなわちチームが若返っていないのです。
南アフリカ大会の時は、それまで日本のエースだった中村俊輔選手がすっかりロートル扱いされておりましたけど、今回はそんなロートルばかりの寄せ集めだった感じがします。いつまでも本田や長友や遠藤の時代ではないのです。いま伸び盛りの、可能性に満ちた、これからという若手を使わなければ、奇跡なんか起きません。
次回大会は、ぜひフレッシュなチームで戦っていただきたいものです。
さて、前回は懐かしいフォークソングについて語らせていただきました。1970年代前半の日本の音楽シーンはフォークソングが全盛でしたけど、ポップ・ミュージックも、あたかも恐竜が支配していた時代の哺乳類のように細々と生息し、繁栄のチャンスをじっと覗っていました。
そんな時代のポップ・ミュージックの代表曲といえば、ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだった加藤和彦さんが、奥さんのミカさんと共に作った、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにお願い」(作詞・松山猛、作曲・加藤和彦)でしょうね。
さあ 不思議な夢と遠い昔が好きなら
さあ そのスイッチを遠い昔に廻せば
ジュラ紀の世界が広がり 遥かな化石の時代よ
アンモナイトはお昼寝 ティラノザウルスお散歩 アハハン
フォークソングの歌詞には、人生や恋愛や青春の意義を大真面目に論じた文学的なものが多かったのですけど、ポップ・ミュージックの人たちは
「暗えんだよ、おめえたちは。そんな事をネチネチ考えていてもしょうがねえじゃねえか。それよりもパーッと明るくいこうぜ!」
てな感じで、論理よりも感性を優先した、ノリのいい歌詞を重視しておりました。
「タイムマシンにお願い」にはその後、桐島かれんさんや木村カエラさんが歌ったバージョンも生まれましたけど、やはり最初の作品が一番いいですね。ミカさんの素人少女のような下手クソな歌声が逆にいつまでも新鮮で・・・
ただ、サディスティック・ミカ・バンドは、普通の中学生だった当時の私には高級すぎたのか、あまり親しみが無く、私ら低レベルの一般的なガキどもは、むしろフィンガー5あたりに熱狂しておりました。
リンリンリリン、リンリンリリンリン♪
で始まる日本のジャクソン5(かのマイケル・ジャクソンの家族で結成されたグループですよ)と呼ばれたフィンガー5が歌う「恋のダイヤル6700」(作詞・阿久悠、作曲・井上忠夫)。
当時、私はこのレコードを買い、そのポップなサウンドにシビれておりました(笑)。
また、宇崎竜童さん率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドにもシビれましたねぇ。
白いつなぎファッションと宇崎さんの奥さんである阿木燿子さんの初作詞作品「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(作曲・宇崎竜童)の
「アンタ、あの娘(こ)の何なのさ?」
というセリフが一世を風靡しました。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドに対しては、「スモーキン・ブギ」がサディスティック・ミカ・バンドの「サイクリング・ブギ」のパクリだと批判されたり、また1990年頃に放送していたテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」に自分たちのオリジナル曲のメロディーが「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」にパクられたと主張するバンドが登場したりということがありましたけど、その後の宇崎さんの活躍を見れば彼の音楽の才能が本物であることは明らかです。
私は「身も心も」や、夏八木勲さん主演の角川映画「白昼の死角」(1979)のテーマソング「欲望の街」(作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童)が大好きです。
愛しい人よ もういちど振り向き
もう一度この胸で泣きなよ
せめて夜が来る前は
おまえの涙を信じよう
都会は明日が見えない
ああ ああああああ 欲望の街
ロック系では、もちろん矢沢永吉さん率いるキャロルも大人気でした。「ルイジアンナ」とか「ファンキー・モンキー・ベイビー」は衝撃的でしたね、そのサウンドや歌詞の新しさで。
最近、メンバーの一人だったジョニー大倉さんが大病を患い苦しんでいらっしゃるとか。ご快復なさるのを心より願っております。
ソロになった後の矢沢さんの代表曲「時間よ止まれ」は、私のカラオケの十八番であります♪
矢沢さんの曲では、他には「ミスティ」(作詞・ちあき哲也、作曲・矢沢永吉)が大好きです。
You broke my heart baby 悪いひとさ
You made me cry baby 誘い出して
傷つくまで からかうのか yeah
去年、テレビ番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」の中の「食わず嫌い王決定戦」というコーナーに矢沢さんが出演なさっていらっしゃいましたけど、いつまでもカッコいいですね、永ちゃんは。
別格の存在ですね。
私のカラオケの十八番といえば、甲斐バンドの「安奈」や「ちんぴら」もそうです。
甲斐バンドは、もともとフォーク系のバンドでしたが、「ヒーロー」(作詞作曲・甲斐よしひろ)の大ヒットにより一躍ポップス界の寵児となりました。
生きるってことは一夜限りのワンナイトショー
矢のように走る時の狭間で踊ることさ
今夜おまえはヒロインもう泣かさないよ
この魂のすべてでおまえを愛してるさ
元々がフォーク出身なので、甲斐さんの書く詞は人生を語っていますよね(笑)。
あ、それから、甲斐よしひろさんと作家の村上龍さんは似ているな、と私はずーっと思っております。似ていると思いません? お二人とも九州のご出身だし。
文学といえば甲斐さんはハードボイルド小説の愛好者としても有名です。
同じ時期、バンドではゴダイゴも大人気でした。
堺正章さん主演のドラマ「西遊記」のテーマソング「モンキー・マジック」と「ガンダーラ」の大ヒットでメジャーになったゴダイゴは、ボーカルのタケカワユキヒデさんが東京外国語大学卒業(在学中だったのか?)であり、しかもメンバーに外人がいたものですから、とてもハイカラで洗練された、優等生が作った上品なバンドというイメージでした。
そんなゴダイゴの「銀河鉄道999」(作詞・奈良橋陽子・山川啓介、作曲・タケカワユキヒデ)が、私は大好きです。松本零士先生の原作およびアニメ作品はイマイチでしたけど・・・
この曲はEXILEのカバーでも有名ですね。
さあ ゆくんだ その顔をあげて
新しい風に心を洗おう
古い夢は置いて行くがいい
再び始まるドラマのために
当時、ポップス界では他に、世良公則&ツイスト、原田真二さん、佐野元春さん、チャー(char)、桑名正博さん等が活躍していらっしゃいました。
残念ながら桑名正博さんは2012年にお亡くなりになりましたけど、彼の奥さんだったアン・ルイスさんもこの時期のポップス界を代表するスターです。
アン・ルイスさんは「グッドバイ・マイ・ラブ」の頃は可愛いアイドルだったのに、次第にアーティスト化・ロック化し、それと共に化粧がケバくなってゆき、1980年代に入ると「ラ・セゾン」(何と作詞が山口百恵さんで、作曲が沢田研二さん!)や「六本木心中」、「あゝ無常」で、ギンギンのロックスターに変貌いたします。ま、言ってみれば、現在の土屋アンナさんみたいなイメージですね。
私はケバくなったアンさんよりもアイドル時代のアンさんの方が好きなのですけど、彼女の曲でいちばん好きなのは、ちょうどアイドル時代とロックスター時代の中間にあった時期に発表した「恋のブギ・ウギ・トレイン」(作詞・吉田美奈子、作曲・山下達郎)です。
さあ お乗り 恋の旅
連れてゆく ブギ・ウギ・トレイン
リズムを取れば 気持ちはひとつ
誰でも踊れる
今夜の恋はブギウギ
この曲は山下達郎さんが歌うバージョンも素晴らしいです。
女性アーティストでは、「SOMEDAY」の白井貴子さんや「う、ふ、ふ、ふ」のEPO、「My Revolution」の渡辺美里さん、「ウェディング・ベル」のシュガーも活躍していましたね、この時期。
また、アン・ルイスさんの親友で(山下達郎つながりか?)、彼女をイメージした曲「リンダ」を作詞作曲してプレゼントした竹内まりやさんも、この時期に登場いたします。
後にシンガーソングライターとして活躍する竹内さんですが、デビュー当初はアイドル的な扱いをされていて、資生堂化粧品のCMソング「不思議なピーチパイ」(作詞・安井かずみ、作曲・加藤和彦)を歌っておりました。
恋は初めてじゃないけれども
恋はそのたび違うわたしを見せてくれる
不思議な 不思議な ピーチパイ
このピーチパイというのは、一体どういう意味なんでしょうね? 未だに私には分からないのですけど。
ピーチパイのCMでイメージガールを務めていたのはマリアン(当時はメアリー岩本)さん。この当時は妖精のように可愛い女の子でした、あくまでも当時はね(苦笑)。
化粧品メーカーのCMソングなら、一風堂(ラーメン屋さんじゃありませんよ、念の為)の「すみれSeptember Love」(作詞・竜真知子、作曲・土屋昌巳)も忘れられません。
それは9月だった
怪しい季節だった
夕闇をドレスに変えて
君が踊れば都会も踊る
この曲を採用したカネボウ化粧品のイメージガールは、映画「プリティ・ベビー」(1978)の記事でご紹介したブルック・シールズ。彼女も当時は天使のように可愛かったです、これまたあくまでも当時はですけど・・・
また、この曲は後にSHAZNAがカバーしましたね。どうでもいい情報ですけどね。
1970年代も後半になるとフォークソングは廃れてゆき、次第にロックやポップスが優勢になっていくのですが、そのころ突如日本にシンセサイザーとコンピューターを駆使したテクノポップなる音楽が出現いたします。
仕掛けたのは細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんによるユニット、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)。
これにより時代の趨勢は完全にポップ・ミュージックに変わりました。
YMOの「テクノポリス」や「ライディーン」を聴いた時には衝撃を受けましたね、新しい時代の到来を感じて。
「30年前の現代思想」という記事に書きました通り、1980年代前半はポスト構造主義というか現代思想の新しい潮流が一大ブームとなったのですが、テクノポップはそんな時代にもマッチしていました。おしゃれな男どもは、大きめのサングラスをかけ、肩幅の広いDCブランドのスーツを着て、テクノカットという中途半端な髪型にしていましたね、吉川晃司さんみたいに(笑)。
ちなみに、YMOの出現から東京(トウキョウ)がTOKIO(トキオ)と呼ばれるようになったのですけど、さっそく沢田研二さんが流行に乗っかる形で「TOKIO」(作詞・糸井重里、作曲・加瀬邦彦)という曲を発表いたしましたね。パラシュートを背負った衣装がステキでした。この衣装が後にタケちゃんマンを生んだのでしょうか?
作詞を担当した糸井重里さんのコピーライターという職業が注目を浴び始めたのもこの時期です。糸井さんが作詞したこの曲の詞が、私は好きです。カッコいい詞ですよね。糸井さんはすぐに坂本龍一さんら新しい時代に担い手たちの仲間になります。
霧に煙った不思議の街に怪しい胸騒ぎ
安らぎ知らない遊園地が
スイッチひとつで真っ赤に燃え上がる
TOKIO 優しい女が眠る街
TOKIO TOKIOが空を飛ぶ
また、1980年代前半の空気にマッチするような形でメジャーになったのが、忌野清志郎さん率いるRCサクセションです。
RCサクセションの結成は1970年ですから相当古いバンドで、たしか私が高校生くらいの頃までは素朴なタッチのフォークソングを歌っていたはずなのに、なぜか1980年代に入るとポップで洗練されたサウンドに変わったんですよね。
「雨あがりの夜空に」(作詞・忌野清志郎、作曲・仲井戸麗市)の思わせぶりな歌詞が好きです。
こんな夜におまえに乗れないなんて
こんな夜に発車できないなんて
また、「ロックン・ロール・ショー」(作詞作曲・RCサクセション)という曲もいいですよね。自分たちをパロディ化していて。
ほら もう一丁 これはロックン・ロール・ショー
さあ もう一丁 俺たちロックン・ロール・バンド
今夜は儲けて帰るぜ
女に不自由はしないぜ
だってさ
これはロックン・ロール・ショー
そして、共に時代の最先端を行くミュージシャンとなったRCサクセションの忌野清志郎さんとYMOの坂本龍一さんが、遂にコラボして曲を発表することになりました。
それが資生堂化粧品のCMソングに使われた「いけないルージュマジック」(作詞作曲・忌野清志郎&坂本龍一)です。
ひとの目を気にして生きるなんてくだらない事さ
僕は道端で泣いてる子供
ベイビー オー ベイビー いけないルージュマジック
ベイビー オー ベイビー いけないルージュマジック
いま聴いても少しも色褪せていない名曲です。清志郎さんの早世が誠に残念です。
最後は(やっと辿り着きましたけど。ハヒー)、前回同様に皆さんが誰もご存知ないであろうロック歌手をご紹介いたします。
東寿明さんです。
ね、知りませんでしょう? こんな人。
東寿明さんは北海道北見市のご出身で(確か実家は布団屋さん?)、私の出身高校の後輩なのです(噂では他の高校に落ちたものの、たまたま私の高校が定員割れしていたので、補欠で潜り込んだとか。運のいい奴ちゃ!)。
高校3年生の文化祭で、1年生だった東さんが体育館の檀上に立ち、エレキギターを演奏した時のことを、私は忘れません。もともと東さんはギターの上手さで注目されたのですが、その言葉通り見えないくらい速い指の動きにビックリいたしました。
その後、東さんは「バニシング・ポイント」という曲でデビューしたのですけど、すぐに消えてしまいましたね。今は実家に戻って家業を継いでいらっしゃるのでしょうか? それとも得意のギターの腕前でスタジオミュージシャンか何かをなさっているのでしょうか?
いずれにせよ、東さん、文化祭のステージは最高にカッコ良かったですよ。また、いつか、どこかで、あなたのギターが聴きたいです。