プロ野球日本シリーズはソフトバンク・ホークスが優勝。阪神はダメでしたね。でも、最後のあっけない幕切れは、ちょっとお気の毒でしたけど。
タレントの磯野貴理子さんが脳梗塞で入院。たしか天海祐希さんや西城秀樹さんも同じ病気に罹りましたよね。私も気をつけなくちゃ・・・もう年ですから・・・およよ・・・
大量の中国漁船が日本領海内でサンゴを密漁。まったくけしからん話です。バズーカ砲でふっ飛ばしてやりたいですよね、悪さばかりするチャンコロどもは。
バズーカ砲といえば、黒田日銀総裁が放ったバズーカ砲(追加の金融緩和政策)が炸裂して、平均株価が大幅に上昇いたしました。でも、その反面、円安も進みましたので、外国から輸入する食糧や材料の価格が、また上がりますわな。
黒田総裁は、デフレ脱却のため、何が何でも2%の物価上昇率を達成する肚なんでしょうけど、実体経済が盛り上がらないうちに物価ばかり上げられても困るんですけどね。今のままじゃ物の値段が上がっても、それは原材料が高くなったから仕方なく上げているだけで、売る方の利益が増えるわけではないですからね。これでは真のデフレ脱却にはなりません。ま、実体経済の方は黒田さんではなく、安倍総理の担当なんでしょうけど。
サザンオールスターズの桑田佳祐さんが紫綬褒章受賞。おめでとうございます。文化勲章でもいいくらいですね。
こんなふうに季節はすっかり文化の秋ですので、今回はまたまた芸術レベルの高い映画をご紹介いたします。
オーソン・ウェルズの映画です。
彼の映画を観たことが無くても、日本人には結構お馴染みの人ですよね。
昔ニッカウィスキーのCMに出ておりましたし、当ブログの記事「猿の手」でご紹介した「オーソン・ウェルズ劇場」というテレビ番組もありました。また、「イングリッシュ・アドベンチャー」という英会話教材のナレーションでも有名でしたね。
それから、映画「エド・ウッド」(1994)の中で、映画制作に行き詰まったジョニー・デップ演じるエド・ウッドを励ます、エド憧れの映画作家もウェルズでした。
幼少の頃から天才ぶりを発揮していたウェルズは、十代で自分の劇団を持ち、敬愛するシェイクスピアの芝居などを上映していました。
そんなウェルズが全米で注目されたのは、1938年、ラジオでH・G・ウェルズ原作の「宇宙戦争」を放送した時です。
最初は普通に音楽などを流していて、途中から「臨時ニュースです」と宇宙人の襲来を告げ、その後も実況中継のように宇宙人による攻撃を放送したものですから、それが本当の出来事だと信じたリスナーにより全米がパニックになったのです。
ちなみに「宇宙戦争」はスティーブン・スピルバーグ監督により2005年に映画化されましたけど、特撮がすごいだけで中身ナシの駄作でしたね。
私はジョージ・パル制作となる1953年の映画版が好きです。
ラジオ「宇宙戦争」のスキャンダラスな成功に目をつけたハリウッドは、ウェルズに映画制作を依頼します。
ウェルズは映画「地獄の黙示録」(1979)の原作となったコンラッドの小説「闇の奥」の映画化を試みますが資金不足のため断念し、代わりに実在の新聞王ハーストをモデルに、一人の男の栄光と孤独を描いた「市民ケーン」(1941)を制作します。
私が「市民ケーン」を観たのは、大学1年生の時です。キャンパスをぶらぶら歩いておりますと「映画研究会」による無料映画上映会のお知らせが・・・イヴ・モンタンがトラックで危険なニトログリセリンを運ぶ「恐怖の報酬」(1953)を上映すると書いてあります。
以前から「恐怖の報酬」を観たいと思っていた私は、さっそく喜び勇んで上映会場となっている教室へ向かったのでした。
そのとき同時上映だったのが「市民ケーン」です。
「恐怖の報酬」もたいへん迫力のある良い映画でしたけど、私は同時上映の「市民ケーン」の方にすっかり心を奪われておりました。それくらい素晴らしかったのです、「市民ケーン」は。
多重構成になっているので、最初の方はとっつきにくいと言うか、物語の筋が分かりにくいんですよ。
しかし、ある新聞記者が、亡くなった新聞王の最期の言葉「バラの蕾」の意味を探る過程で、大富豪である新聞王の孤独な私生活が次第に明らかになるという構成が分かれば、後は物語の面白さとウェルズの演技力にグイグイ引き込まれていきます。
弱冠25歳のウェルズは、この「市民ケーン」を脚本・主演・監督で作り上げました。
画面のすべてにピントが合うディープフォーカスや小津安二郎に影響を与えた極端なローアングルからの撮影(地面に穴を掘ったらしい)、広角レンズの使用など「市民ケーン」は様々な革新を映画界にもたらしました。
「君はなぜ下からばかり撮りたがるんだ?」
そう訊かれたウェルズは
「だって、その方が面白いでしょう?」
と答えたそうです。
また本作は特撮を多用しております。特撮といっても円盤が飛んできたり、恐竜が現れたりするのではなく、海岸際を走る自動車のシーンとか演説会場を上の階から映したシーンとか、そんな何気ないシーンで画像を合成し、よりリアルな画面を作りだしているのです。
白黒映画ですから、それが特撮と気づかれないくらい自然に見えるんですよね。
「スター・ウォーズ」(1977)の記事の中でチラッとお話させていただいた私が構想している映画「スター・ウォーズ アナザーエピソード1」がもし作れるとしたら(そんな事は天地がひっくり返ってもありえないでしょうけど)、私は白黒で作りたいと思っております。
日本でカラーの特撮映画を作ると、「宇宙からのメッセージ」(1978)や「さよならジュピター」(1984)みたいにちゃっちくなりますからねぇ(笑)。でも、白黒なら何とか鑑賞に堪えられる作品が出来るのではないでしょうか? 情けない話ではありますけど。
25歳の若さでこんな革新的な作品の脚本と監督を担当したというだけで充分すごいのに、そのうえウェルズの演技力はどうでしょう。私は演説のシーンで舌を巻きましたね。あまりにもすごすぎて。
この名作「市民ケーン」は、しかしながらモデルとされたハースト系の新聞による一斉の悪口攻撃で、興行的には惨敗します。
すっかり立場の弱くなったウェルズは、2作目の「偉大なるアンバーソン家の人々」(1942)を撮影したものの、その編集権を奪われ、お陰で本作はウェルズの当初の予定より大幅に上映時間の短い不本意な作品になってしまいました。
当ブログの記事「懐かしの海外ドラマ」でもいちど言及いたしましたけど、「市民ケーン」と「偉大なるアンバーソン家の人々」の両作品に出演していたのが、アグネス・ムーアヘッド・・・エリザベス・モンゴメリーが最高に美しかった大人気テレビドラマ「奥さまは魔女」で、主人公サマンサの母親エンドラを演じた人です。彼女はウェルズ作品の常連でした。
私が「市民ケーン」の次に好きなウェルズ作品が、奥さんだったリタ・ヘイワースをヒロインにした「上海から来た女」(1947)です。
これまた編集権が奪われたので、ウェルズの思った通りの作品には仕上がりませんでしたけど、それでも水族館での密会シーンや、ラストの遊園地でのびっくりハウスと鏡の部屋のシーンには、ウェルズらしい鋭い感性が光っていて、とても見応えがあります。
リタ・ヘイワースは、マリリン・モンローが出る前の、アメリカのセックスシンボルだった女優さんです。
映画「ショーシャンクの空に」(1994)の中に、刑務所の囚人たちがリタ主演の映画「ギルダ」(1946)を観て大喜びするシーンがありましたよね。
「ギルダ」の中で、リタが踊りながら「Put The Blame On Mame(メイムのせいなのよ)」を歌うシーンは、最高にセクシーで素敵でした。絵になる女優さんですね。
「上海から来た女」の中でも、リタがヨットの上でタバコを吸いながら「Please Don't Kiss Me」を歌うシーンが忘れられません。
このように才能溢れるウェルズでしたが、なにせヒット作に恵まれなかったので、自分の映画の資金を稼ぐため、他人の映画にも数多く出演いたしました。
金のためならどんなしょうもない映画にも出演したのですが、中には名作もあります。
エリザベス・テイラーが子役で出演していた「ジェーン・エア」(1944)も良かったですし、グレゴリー・ペック主演の「白鯨」(1956)も秀作でした。
しかし、何と言っても素晴らしいのは、「第三の男」(1949)です。
共演は、「市民ケーン」と「偉大なるアンバーソン家の人々」にも出演したウェルズの盟友、ジョセフ・コットンです。コットンが後に東宝特撮映画「緯度0大作戦」(1969)に出演するというのは、当ブログの記事「大好きな日本映画その1」でお話した通りです。
また、本作のヒロイン役は、ヴィスコンティ監督の「夏の嵐」(1954)や当ブログの記事「ユーチューブで観た映画」でご紹介した「顔のない眼」(1959)に出演したアリダ・ヴァリです。
コットンとヴァリが長い並木道でお別れする本作のラストシーンはあまりにも有名で、これを知らないようでは一般教養を疑われても仕方ありません。
本作の中のウェルズのセリフ。
「ボルジア家の圧政はルネッサンスを生んだ。スイス300年の平和は何を生んだ? 鳩時計だけさ」
これまた非常に有名で知らないと恥をかくレベルです。
このセリフはウェルズ自身が書き加えたものだそうです。チャップリンの「殺人狂時代」(1947)の中の有名なセリフ
「ひとり殺せば殺人鬼。百万殺せば英雄」
これもウェルズが書いたとか(チャップリンは否定していたそうですけど)。いずれにせよ素晴らしい才能です。
昔からシェイクスピアに魅了されているウェルズは何本かシェイクスピア作品を映画化しておりますけど、その中の最高傑作が「オセロ」(1952)です。
本作は1952年に制作されたものの、その後長らくフィルムが行方不明になっていて、1993年になりようやく発見され、公開されました。白黒画面の美しさを最大に生かした見事な作品です。私が「スター・ウォーズ アナザーエピソード1」を白黒で撮りたいと夢想するのも(あくまで夢想ですよ、念のためw)、本作があったからです。
シェイクスピア物では他に、未完成に終わった「ベニスの商人」の断片を観たことがあるのですけど、これもさすがという感じの鋭さでした。
また、カフカの記事のところでも言及いたしましたけど、ウェルズはカフカの小説「審判」を映画化しております(1963)。
これについて、セリーヌの「なしくずしの死」の記事でもご紹介した「カフカ マイナー文学のために」という本の中で、著者であるドゥルーズ=ガタリがこう述べています(宇波彰/岩田行一訳)。
・・・オーソン・ウェルズとカフカの出会いは、こういったすべてのことによって説明される。映画と建築の関係は、映画と演劇の関係よりも深い(フリッツ・ラングは建築家である)。
ところで、ウェルズは、建築の二つのモデルをいつも共存させていたが、彼はこのモデルをきわめて意識的に使っていた。
第一のモデルは、豪華とデカダンスのモデルで、アルカイスムのなかにありはするが、完全にアクチュアルな機能をしており、無限の階段で上下し、上からの、或は下からのアングルがある。
第二のモデルは、広角と深い視域のモデルであり、限界のない廊下、隣接した横断的なものである。
「市民ケーン」または「偉大なるアンバーソン家の人々」は第一のモデルを重視し、「上海から来た女」は第二のモデルを重視している。
「第三の男」はウェルズの監督作品ではないが、二つのモデルを、われわれが語ったような驚くべき混交のなかで統合している。アルカイックな階段、空中で垂直に動く大きな車、下水管の隣接性を持ったわずかに地下に隠れている根茎としての下水路。常に存在する無限の偏執狂的スパイラルと、限界のない分裂病的な線。
映画「審判」は二つの運動をもっとよく結合している。そしてティトレリ、娘たち、木の長い廊下、遠くにあるもの、突然の隣接性、逃走の線といったシーンが、ウェルズの才能とカフカとの親近性を示している・・・
ですって。
私はウェルズ扮する弁護士の助手を演じたロミー・シュナイダーの小悪魔的なキュートな色気ばかりに目を奪われておりましたけどね。あはは(汗)・・・
それでは、最後にオーソン・ウェルズについて書いたジャン・コクトーの文章(梁木靖弘訳)を引用して本日はおしまいとさせて頂きます。
・・・オーソン・ウェルズ、それは子供のまなざしをした一種の巨人。鳥と木陰でふくれあがった木。鎖をちぎって花壇に寝そべる犬。活発ななまけ者。賢い道化。群衆にかこまれた孤独。授業中にいねむりする生徒。人からかまわれたくないときには酔払ったふりをする策略家である・・・