昨晩暑さで寝苦しかったと思ったら、今日は一転して涼しく、私の生まれた宮崎県は大雨、そして私が小学2年生から高校卒業するまで過ごした北海道の網走や北見あたりは猛暑・・・いったい日本はどうなってんの? んもー、体調が悪いわぁ。
STAP細胞論文はいよいよ取り下げですか。夢想家オボちゃんは童話作家か占い師になればいいのにね。
先日、高円宮典子さまとご婚約された出雲大社宮司の跡取り息子・千家国麿さん。それにしても、すんごいお名前ですね。こんなすごい名前久しぶりです。感動しましたw
さて、今回は文学のお話でして(私のブログでは最も人気がありませんけど・・・うるうる・・・)、大好きな作家、チャールズ・ブコウスキーについて語らせていただきます。
ブコウスキーという作家をご存知でしょうか? アメリカの作家で、最初は詩人として文学生活をスタートさせたものの、もちろんそれだけでは食ってゆけず、様々な職業を転々とした末に50歳過ぎまで郵便局の深夜の仕分け係として働き、ジジイになってからようやくその作品が認められるようになった人です。
しかし、現在、彼の詩や小説は世界中で熱狂的なファンを獲得しており、かく言う私もその一人です。
私がブコウスキーを知ったのは、そんなに昔のことではありません。30代後半の頃、仕事の途中に立ち寄った本屋さんで、たまたま彼の本が目にとまったのです。本のタイトルに惹きつけられたと言った方が正確かもしれません。その本のタイトルが、今回の記事のタイトルにもなっている
町でいちばんの美女
どうです? 何か惹きつけられますでしょう? 本の帯に書かれていたビートたけしさんの言葉がまた印象的でした。
・・・この小説家は、他人事みたいに平気で自分の内臓をさらけだす。まるで危ない外科医だね。面白かったけど、オレとあんまり感覚が似ているんで、読んでいて自分のクソを見せつけられているような気がした・・・
この本は短編小説集でしたので、興味を持った私は、さっそく表題作である「町でいちばんの美女」を立ち読みしてみました。短い作品ですので、すぐに読めました。そうしたら、これにガーンとやられたんですね、ワタクシは。
「町でいちばんの美女」は、ブコウスキー自身がモデルであろう主人公《私》と精神を病んだ若くて美しい売春婦キャスの悲しい恋物語です。物語の内容は殺伐としたものですけど、その底辺に流れる優しさみたいなものが私の心を捉えました。
私は本を買い、帰宅後他の作品も読んでみましたところ、この本の原題である「勃起、射精、露出、日常の狂気にまつわるもろもろの物語」通り、他はチンポやせんずりやプッシーの話ばかりでがっかりでしたけど、それでも私のブコウスキーに対する興味が止む事はありませんでした。
おこがましい言い方で恐縮なのですが、感じたんです血脈を・・・ブコウスキーに・・・私は・・・
ブコウスキーも私と同じようにセリーヌの大ファンでして、彼の遺作「パンク」の主人公である探偵は、とっくの昔に死んだはずのセリーヌを探してくれと依頼されます。
セリーヌとブコウスキーでは文学の質に差がありすぎますけど、それでもブコウスキーがセリーヌを敬愛するのはよく理解できます。二人とも根っからのアウトサイダーですからね。
ブコウスキーにはセリーヌのような天才的な才能はありませんでした。しかし、才能が無いのが何でしょう? この世には才能が無いがゆえの魅力というものも存在するのです。映画で言えばエド・ウッド的なB級の魅力というものが。
そこらへんの事も含めてブコウスキーの作品の翻訳者である作家の青野聡氏が「ありきたりの狂気の物語」のあとがきでこう書いています。私なんぞは、このあとがきに随分と勇気づけられたものです。
・・・小説というのはこの社会、この世界に対しての異議申し立てである。もし一冊の本でこの社会を爆破することができたら、こんなに素晴らしいことはない。できない。できないがゆえに書きつづける。同化することは腐ること。堕落することだ。であるならば死ぬその日まで異議申し立てできる姿勢を崩さず、書きつづけることである。
多民族国家のアメリカ。なかでも有色人種が多いロスアンジェルス。個人的に生きていれば、なにか一言いわずにはいられなくなる出来事が日々見えることだろう。
私はブロウスキーを読んで、こんなんでいいならオレにも書ける、と思ってくれる読者があらわれることを期待している。どんどん書いて、どんな媒体でもいいから発表してくれることを心待ちにしている。
私はブロウスキーを読んで、こんなんでいいならオレにも書ける、と思ってくれる読者があらわれることを期待している。どんどん書いて、どんな媒体でもいいから発表してくれることを心待ちにしている。
こんなんでいいのである。
日ごろつかってる言葉をつかうだけでいい。漢字がわからなかったら平仮名で充分。むしろ辞書をひいて漢字をつかおうとすることのほうがみっともない。かんじんなのはこの日本社会に対して異議申し立てをしているかどうかということにある。もっといえば、異議申し立てをしつづける覚悟が作品から見えるかどうかということにある。
あと数年で二十一世紀ということの時代を生きていて、テレビ、新聞、学校、親、世間などから入ってくる情報。それにシステム。いろいろあるだろう。それにたいしてオレはちがう、アタシはちがうと孤立した地点でいいつづけること。そこだ・・・
ブコウスキーの作品はいくつか映画化されておりまして、彼の若い時分の話を描いたマット・ディロン主演の「酔いどれ詩人になるまえに」(2007)という映画もありました。
文学と女以外の事には意欲が湧かない主人公は、何の仕事に就いても長続きせず、今日も酒場で酔い潰れる日々・・・
分かるなぁ、その気持ち・・・でも、好きな事だけをさせてくれるほど世の中は甘くないですものね・・・ぐっすん・・・
ブコウスキーの作品はほとんど全部読みました。「詩人と女たち」とか「勝手に生きろ」とかもそれなりに面白かったのですけど、やはり何と言っても素晴らしいのは「町でいちばんの美女」です。作品的にはこれですね、ブコウスキーは。
しかしながら、ブコウスキーのような作家は作品だけで評価されるものではありませんでして、彼のキャラクターや生きざまを含めたトータルで、私たちファンはブコウスキーを愛しているのです。そういう意味でブコウスキーは坂口安吾に近いのかもしれません。
オールドパンク・・・タフガイは詩を書く・・・黄金のハートを持った飲んだくれ・・・酔っ払いのハードパンチ・・・ブコウスキーよ、ああ、なんてあなたの文体は華麗なプッシーなのか・・・
手元にある雑誌「ユリイカ」1995年5月号のブコウスキー特集号から、印象的な言葉を集めてみました。これらの言葉からイメージされる雑駁なすべてがブコウスキーです。
魂がロックしているジジイです。
「町でいちばんの美女」を、ぜひ読んでみてくださいね。きっと感じるものがあるはずですよ。